分裂勘違い君劇場の別館

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/ の別館です。

物語を創れば、言葉では伝わらないことを伝えられる

「結論から先に言え」って言われて、

結論を先に言ったら、否定されたことってありませんか?

 

しかも、同じことを、手順を踏んで伝えたら、
受け入れられた。

 

同じことを別の状況で言ったら、
受け入れられた。

 

同じことを、根回しして、別の人に言わせたら、
受け入れられた。

 

言葉で言ったら理解されなかったけど、
その人自身がそれを体験したら、
理解してもらえた。

 

言葉で言っても理解されなかったけど、
自分自身の行動で示したら、
理解してもらえた。


物語を創ると、
自分の思い通りの状況で、
思い通りの人に、
思い通りの手順で、
言いたいことを言わせることができる。
行動で示すこともできる。
体験させることもできる。

 

だから、言葉では伝わらないことでも、
物語によって伝えることができる。

 

ただし、それは、その物語を読んでもらえたら、の話。

 

物語を読んでもらうためには、
読者がその物語に引き込まれ、
最後まで夢中で読んでしまう仕掛けを
重層的に編みこむ必要がある。

それは、ベタなテクニック論の集大成。

 

もちろん、テクニックだけではダメ。

魂がこもってないと、話にならない。
迫力、凄み、色気が陳腐だと、
どうにもならない。

 

まあ、そこは、作者本人の生き様が出る。

 

だから、まず、
「心の底から伝えたいことがあるんだけど、言葉では伝わらないこと」
がある人が、物語を作ろう。

 

そして、自分の生き様を、繕わずに、
物語に刻みつけよう。

 

何より、語るに足る、生き方をしよう。

 

それがないと、語るに値する物語は生まれない。

あなたは金融緩和で損をするタイプ?得するタイプ?

アベノミクスのウリは強力な金融緩和だが、

実は、金融緩和で損する人は、けっこうたくさんいる。
得する人の方が多いから、やってるだけで。

中には全員が得するかのようなことを言う人もいるけど、
まあ、ぶっちゃけ、それはウソだ。
たしかに全体のパイは膨らむので、平均すると得する人の方が多くなるだろうが、
全員が全員必ず得する、というような虫のいい話ではない。
損する人も、けっこうたくさん出てくると思う。

基本的に、以下のタイプは得をすると思う。
(1)一部の大金持ち
(2)失業者
(3)貧困層

以下のタイプは損をする人がけっこう出てくると思う。
(1)中高年正社員
(2)中小企業経営者
(3)中高年の小金持ち

以下、理由を述べる。

金融緩和をし続けて、2%インフレが常態化したとする。
多くの企業で、かなりの数の中高年正社員の名目賃金を据え置きにするケースがけっこう出てくると思う。
となると、年率2%ずつ、実質賃金が下がっていくことになる。

さらに、金融緩和を続けると、円安が続く。
企業が、今後もずっと円安が続くと見切れば、次第に海外の工場を国内に移転し始める。
これによって国内の雇用が増えて、失業者は職を得られるようになる。

しかし、円安は物価高をもたらす。
すると、名目賃金が据え置きの人は、輸入物価が上がった分だけ、実質的に貧しくなる。

また、円安が続いて、国内に製造拠点が戻ってくると、
国内労働力が不足して奪い合いになる。
その場合に不足するのは、国外にアウトソースしていたような種類の労働だから、基本的に低賃金労働だ。
だから、低賃金労働者の所得は増える。低賃金労働者は得をする。

一方で、低賃金労働の給与が上がると、中小企業の経営を圧迫する。
やがては、多くの中小企業が人件費高騰から、採算が苦しくなっていく。中小企業経営者の役員報酬は減るだろうし、ひどい場合には、倒産してしまうだろう。

また、中高年の小金持ちの中には、なぜかタンス預金をしている人がけっこういる。
その人達の、タンスの中に眠っている諭吉さんたちは、年率2%のインフレが起これば、2%ずつ価値が目減りしていくことになる。

また、景気が回復し、労働者不足があちこちで起きるから、それによって労働者の待遇が良くなっていくだろう。
しかし、人手不足が原因で労働者の所得が増た分だけ、経営者と株主の所得が減ることになる。

もちろん、景気が良くなれば売上が増え、遊休施設の稼働率が上がるので、その分だけ、会社の利益は増え、経営者と資本家が得をする、という側面もあるので、それで相殺されるか、むしろ、トータルでは、経営者も株主も得をすることの方が多いと思う。もちろん、トータルで損になるケースも多いだろうが。(id:Dursan氏の指摘により追記)

外国の株式で資産運用している人は、円安になれば、日本円での資産評価額は上がるので、日本で暮らしている限りにおいては、得するとも言える。

日本の株式で資産運用している人は、日本円換算での資産は増えるので、資産は上がったという見方もできるが、円安になった分だけ資産が減っているので、そんなに増えたのかどうか、微妙という話もある。


まあ、実際には、たとえ損するタイプの人でも、景気が良くなったり人手不足になることによる恩恵で、損が緩和される面があるから、そんなに大損、というほどになるケースはそんなに多くない気がする。

社会的には、日本の金融緩和は、アメリカの金融緩和と、かなり違う意味を持っていると思う。

アメリカの格差が、超富裕層とそれ以外の格差であるのに対し、日本の格差が中間層と貧困層の格差であるからだ。

もちろん、金融緩和の主目的は景気回復だろうが、金融緩和は、正社員の実質賃金を下げて、それを失業者と貧困層に再配分する副作用がある。
この副作用は、結果的に、日本型の格差是正をもたらすように思う。

 

id:tdam氏の指摘により追記:

リフレで遊休施設の稼働率が上がり、失業者が働くようになった分だけ、GDPは押し上げられる。それにより税収が増える。これにより、より多くの人が年金を受け取れる見込みは上がることになる。さらに、年金支給額は物価上昇率分だけ上がる取り決めになっているので、インフレで実質の年金支給額が目減りすることもない。なので、年金生活者やその予備軍は、金融緩和で得をする。

円安で国内に産業が戻ってきたり、輸出が増えたり、訪日外国観光客も増えれば、タイムラグはあるが、長期的には貿易黒字は増える方向に向かう。黒字分は、日本人が外国に持つ債権という形になるので、その利回り分が日本人の所得を押し上げる。でも、この効果が出るのには、けっこうタイムラグが大きいと思う。

リフレで実質生産が増えれば、たしかに、日本人全体の実質所得は増える。しかし、それが均等に分配されるとは限らない。多く分配される人も入れば、分配どころか、リフレの別の副作用の効果の方が大きく出てしまって、トータルで損をする人も出てくる。

 

 

 

日本の景気回復には格差是正が必要か?

■前置き

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「『現在の日本』において、格差を是正しなければ景気回復しない」という主張をよく見るので、それがどんな実証研究で支持されているのかとGoogleで検索したが、私にはそれが見つからなかった。もしそれを見かけた、という人がいたら、ぜひそのURLを教えて欲しい。

 

■疑問
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「現在の日本の景気回復には格差是正が必要ですか?」
とクルーグマン(リベラル寄りの経済学者)に訊いたとしたら、どう答えるだろうか?

 

■追記

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クルーグマン自身の景気回復と格差の関係への言及があったので追記。id:okemos氏の指摘による。

ポール・クルーグマン「格差と不況からの回復力のつながり」 — 経済学101

 

■結論
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少なくとも、
「クルーグマンが『「大きな格差」は経済成長に悪影響がある』と書いている」
という事実から、
「『日本の景気回復には所得の再配分が必要』とクルーグマンは書いている」
と主張するのは、論理の飛躍があると思う。

以下、その根拠を書く。

 

 

■根拠
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クルーグマンは、「大きな格差は経済成長の重石になる」と信じる良い理由があると書いている。
http://www.nytimes.com/2014/08/08/opinion/paul-krugman-inequality-is-a-drag.html?_r=0

また、アメリカとフランスの経済成長を比較し、再分配は経済成長にマイナスの影響を与えないとも書いている。
http://econ101.jp/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%80%8C%E6%A0%BC%E5%B7%AE%E3%82%92%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%88%E3%81%8F%E8%A6%8B%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B/

一方で、自著の中で、「日本は格差の小さい国」とも書いている。
http://www.amazon.co.jp/dp/4152089318

クルーグマンの書いた本を何冊か読んだが、
クルーグマンのいつも言ってる「大きな格差」は、現在のアメリカの格差のような格差のことだろう。

クルーグマンは、自著の中で、アメリカでは「富裕層ですら貧しくなっている」と言っている。
じゃあ、一体、その金はどこへ行ったのか?
「超富裕層」のお財布の中だ。
クルーグマンが言うには、アメリカでは「超富裕層とそれ以外の格差」が開いていて、それが問題だと。

超富裕層っていうのは、大豪邸に住んでるとか、クルーザーとか高級車を何台も持っているとか、そういう人たちのことですよ。(少なくとも、私とは全くの別人種だ)

 

 

■私の考察

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日本の格差はアメリカの格差と構造が違う。
日本の格差は「貧困層と中間層の格差」なんだ。

だから、アメリカでの格差是正は、0.1%の超富裕層に重税をかけて、それを、残り99.9%に再配分するということになる。
日本での格差是正は、中間層に重税をかけて、それを貧困層に再分配するということになる。

つまり、クルーグマンが「格差は経済成長に悪影響がある」と書くときに念頭においている「格差」と、現在の日本の格差は、だいぶ中身が違う。

これを一緒くたにするのがまず微妙だし、それに加えて、「日本の景気回復」のための政策へのクルーグマンの言及としては、金融緩和や消費税率の引き上げ延期の効果ははっきり主張しているのは何度も見かけたが、今の日本の景気回復には所得の再配分が必要だとクルーグマンが書いているのは、見たことがない。

見かけたことがある、という人がいたら、ぜひとも、この記事にはてブコメントで、その記事のURLを書いて欲しい。

 

 

■「書いても思ってもないことを読み取るマン」たちへの事前の返答
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こういう記事を書くと、「格差を拡大すべきだと主張している」「金持ちのポジショントーク」「金持ち優遇にしろと主張している」と騒ぎ出す「書いても思ってもないことを読み取るマン」が沸いてくるので、最初にそれに返答しておく。

まず、私が匿名でネットに記事やコメントを書くことで日本の政治に影響があるとは、寸毫たりとも思わない。心底思ってない。だから、私は日本の政治を変えようという意図で何かをネットに書いているわけではない。
また、私は格差を拡大して欲しいわけではない。格差が拡大しても、とくに私にメリットはない。また、所得税率や法人税率が上がって、所得の再分配が強化されても、とくに私は困らない。今以上に大きく資産を増やしたいと熱望しているわけではないからだ。たくさん稼がなければ所得税も法人税もたいしてかからない。相続税の累進性が上がっても困らない。子孫に財産を残したいわけでもないし、両親も資産を持っていないからだ。さらに、特に金持ちを優遇してもらいたいとも思わない。金持ちだけ特別に優遇されるような社会制度など必要としていない。

クリエイティブな人は趣味にお金がかからないというのは本当か?

自分で「文章書いて、絵描いて、楽器を弾いて、プログラム書いて、写真とってれば」それだけで楽しい、という人がいる。
それにはまったくもって同意なのだが「それにカネがかからない」という点には全く同意できない。

私は、趣味で文章を書いたり、写真を撮ったり、サイトを作ったりしているが、ものすごくお金がかかる。

たとえば、私は娯楽小説を書くのが好きなのだが、これって、パソコンとテキストエディタだけでは書けない。
これは「娯楽」小説なのだから、面白くないと話にならない。とことん面白くなるまで、何度でも執念深く書き直す。そのうちに、足りないものが見えてくる。
そして、足りないものを補うには、金がかかることがわかってくる。
想像だけで書いている文章って、やっぱ面白くならない。ジブリの背景の木は、想像で書いたものは1本もないという。全部観察して書いているそうだ。小説も同じで、現実を精密に観察し、登場人物の生々しい人生を創り上げて、存在自体が大きく重く分厚いものにして、それを全部のせた重い一撃が打ち込まれるから、迫力のある戦闘シーンになる。叫ぶ言葉にも魂が宿る。

小説の舞台が現代日本に限定されると話に広がりがない。空間を越え、時代を越え、文化を越えて迫力を出すには、大量の資料の読み込みが必要になる。
そのために、本を買いまくることになる。
もちろん、kindleで買えるものはできるだけkindleで買う。
でも、kindle化されていない本の方が多いから、紙の本で買うことが多くなる。
紙の本は読んだらBOOKSCANでPDFにする。
でも、やっぱり紙のままじゃないと、よく頭にはいらないような本がたくさんあって、そういう本は紙のまま本棚に置いておくしかない。
本棚がたくさんいる。広い部屋が必要。家賃にたくさん金を使う。
小説用の本棚のスペースのためだけに、月に十数万円分余分に家賃を払うことになる。
しかも、1冊何万円もするような本が大量に必要になる。そういう本を買いまくってると、半端無くお金がかかる。

もちろん、 本だけじゃダメ。やっぱ、小説の舞台になる場所まで自分で出かけて行って、登場人物が目にするであろう風景、匂い、湿度、大地を感じないと。それをやるとやらないとでは、そのシーンの魅力がぜんぜん違う。それをやらないと、絶望、怒り、悲しみをのせた渾身の一撃が、なんだか、抽象的で薄っぺらいものになってしまう。生まれてから今までの生々しい人生の時空間が、まるごと拳に乗っかっているから、重い一撃になる。重い台詞になる。その時空間を想像だけで書くと、血が通わない。取材旅行は、登場人物の「血」を創りだすために必要なものだ。
そういう旅行をすると、やっぱり、えらくお金がかかる。普通の町中のホテルに泊まって、観光スポットをめぐるんじゃなくて、取材旅行をするわけだから、いろいろイレギュラーなことをしなきゃならない。例外処理にコストが掛かるのは、プログラミングだけではない。

写真も、やっぱ、金かかる。自分の中のあるイメージの写真を取るために、事前に目的の場所を調べ、太陽との位置関係から撮れる写真の出来上がりを計算し、天気予報とにらめっこして雲がどれだけ出ているかを予想し、電車とタクシーを乗り継いで、その場所に行って、写真を取る。一回じゃ、うまくいかない。風向きが少し違うだけ、風の強さが少し違うだけで、雲の配置が少し違うだけで、薄雲が少しかかってるだけで、理想からは程遠い写真になる。たくさんのお金を使って、同じ場所に、執念深く、何回も何回も通う。納得の写真が撮れる、ほんの一瞬を捕らえるために。

まあ、撮った写真の処理は、昔に比べれば、だいぶお金がかからなくはなった。MacBookProを買って、4Kディスプレイ買って、月額5000円のAdobeCCをサブスクライブしていれば、けっこう満足のいく処理はできる。それでも、「クリエイティブな処理にお金がかからない」と言えるほど安くはない。


もちろん、お金がなくても書ける文章も、撮れる写真もある。でも、実に狭い創作活動だけしかできない。お金がなくても書ける文章だけしか書かないってやっぱり貧しいと思う。お金がなくても書ける文章も、お金がないと書けない文章も、両方、自由に書けること。それこそが、豊かな人生じゃないだろうか。

だから「クリエイティブな趣味を持っている人は、お金をあまり使う必要がない」と言う人を見かけるたびに、その「お金を使わなくてもできる程度のクリエイティブな趣味」、というのが、ほんとにそんなに楽しいものなのか、ほんとに魅力的な趣味なのか、なんだか味の足りないスープを飲んでいるような、微妙な気分になることがあるのです。

リーン・スタートアップ教をめぐる宗教論争

「PayPal創業者のピーターティールがリーン・スタートアップを完全否定した」と言われている。

ティールは単なる一発屋ではなく、その後も投資家としてfacebookなどに出資して成功しているということもあって、これは結構話題になった。

彼の書いた本を確認してみると、たしかに、多くのリーン・スタートアップ教信者の神経を逆なでするようなことが描かれている。

ティールが批判したのは、現在のシリコンバレー起業家にありがちな以下の4つの考え方だ。

(1)少しずつ段階的に前進すること:壮大なビジョンがドットコム・バブルを引き起こした。だから自分に酔ってはいけない。大口をたたく人間は怪しい。世界を変えたいなら謙虚でなければいけない。小さく段階的な歩みだけが安全だ。

(2)無駄なく柔軟であること:ビジネスの先行きは誰にもわからない。だから計画を作って計画通りにやるのは柔軟性に欠ける。試行錯誤を繰り返し、先の見えない実験として起業を扱うべき。

(3)ライバルのものを改良すること:機が熟さないうちに新しい市場を作ろうとしてはだめ。本当に商売になるかどうかを知るには既存顧客のいる市場から始めるしかない。つまり、成功しているライバルの人気商品を改良することから始めるべき。

(4)販売ではなくプロダクトに集中すること:販売のために広告や営業が必要だとしたら、プロダクトに問題がある。テクノロジーは製品開発にこそ活かされるべきで、販売は二の次でいい。バイラルな成長だけが持続可能。

これに対し、ティールは、正しいのはむしろ逆の原則だと主張する。

(1)小さな違いを追いかけるより、大胆に賭けた方がいい

(2)出来の悪い計画でも、ないよりはいい

(3)競争の激しい市場では収益が消失する

(4)販売はプロダクトと同じぐらい大切だ

このうち、(1)「大胆に賭ける」については、投資家ティールのポジショントークが入っているので、鵜呑みするのは危険だ。

起業家が大胆に賭けてくれた方が、ティールのような投資家にとっては都合がいいのだ。

彼自身も認めているが、スタートアップへの投資効果というのはべき乗則に従う。最大の利益を稼ぎだした1つの投資案件は、他のすべての投資案件がもたらした利益の合計よりも多くの利益をもたらすのはよくあることだ。だから、大胆に賭けるような起業家へ投資した方が、投資効果がよいのだ。

起業家の利害はこの逆になりがちだ。

30%の確率で30億円得られるのと、1%の確率で2000億円得られるのとでは、前者のほうがいいという起業家もたくさんいるはずだ。

目標金額が10億円ならば、30億円も2000億円もそんなに大きな違いはないからだ。

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また、(2)については、リーン・スタートアップ教の経典を「無計画に行き当たりばったりにプロジェクトを進める」ということの言い訳にしている起業家がけっこう多い。

リーン・スタートアップ教のオリジナルの経典には、リーン・スタートアップにはリーン・スタートアップなりのマネージメント方法があるのであって、けっしてマネージメントが無いわけではない、と書かれているのだが、それもろくに行わずに、ただ単にルーズになっているケースもけっこう見受けられる。

こういう起業家は論外で、ティールの批判の本質はそこにはない。

じゃあ、「リーン・スタートアップ教のオリジナルの経典どおり、mvpを細かく刻んで、ユーザの反応を計測しながらプロダクトを改良していくというサイクル自体をしっかりマネージメントしてくやり方」をティールが批判しているのかというと、そこも違う。

ディールが批判しているのは、現在のシリコンバレーに漂う、「ビジョンを描き、しっかり計画すること」への不信感だ。それは、リーン・スタートアップ教の経典にも漂っている。

もちろん「独り善がりの誤ったビジョンや、ユーザの反応も見ないうちから独り善がりな計画書を大量に作ること」は、起業家が常に陥りがちな失敗であり、最大限の注意を払ってこれを警戒し続けなければならない。

しかしながら、ドットコムバブルがはじけて以降の起業家たちがやっているのは、「あつものに懲りてなますを吹く」だ。

誤ったビジョンと計画によって大失敗したからという理由で、「ユーザの反応など予想できないのだから、そもそもビジョンや計画の作成に力を入れてもしょうがない。あまり計画を作らずに、ユーザの反応を見ながら作っていくのが正しいのだ」という誤った反省をしてしまっている起業家が多い。

ティールが批判しているのは、この「誤った反省」だ。

失敗したのは「誤った計画を立て、しかも、『ユーザの反応をしっかり見ながらその計画を臨機応変に変更していくというやり方』をしなかったこと」によるにのであって、「計画を建てたことそれ自体」が原因で失敗したわけではない。

ただし、「なぜ、計画すべきなのか?」についてのティールの議論には、根拠が無いし、説得力もない。

それどころか、「ビジョンを描き、しっかりと計画することで成功してきた自分自身を肯定したい」という、成功者にありがちな自己正当化の欲望がそこにはある。

それでもなお、ティールのこの批判には一理あると思う。ティールは、邪な動機と誤った根拠にもとづいて自説を展開するが、それでも、その主張自体は傾聴に値する。

そもそも、根拠が無いというのなら、「ユーザの反応は予想できない」という一部のリーン・スタートアップ信者たちの信仰にだって、根拠はないのだ。

更に言うと、信者たちは「ユーザの反応を見ながら」と言うが、見れないユーザの反応は多い。むしろ、一番肝心な部分が見えないことがとても多い。そもそも、いま、サイトに訪れているユーザの反応は見ることができるが、本当に重要な顧客は、いま、サイトに訪れていないタイプの顧客のことも多い。むしろ、今見えている顧客に合わせてサイトを最適化してしまったら、ますます、本来獲得したい顧客から遠ざかってしまうことだってある。

見えないユーザの反応をどうやって見るか?

それは、統計データ、書籍、ネット、リアルで人の話を聞きに行くなど、さまざまな場所から情報収集し、あとは、それをしっかり自分の中で咀嚼して、予測するという、昔ながらのやり方をするしかない。

それに基づいて、企画書や計画書を作っていくのだ。

この「外部情報収集→分析→計画」のプロセスを軽視する病にかかっている人が、リーン・スタートアップ教信者に、しばしば見受けられる。

この作業は、手間がかかるし、めんどくさい。

そんなことに手間をかけるくらいなら、さっさとプロダクトを作って、ユーザの反応を見た方がいい、という持論を展開する。

しかし、これは、程度とバランスの問題なのだ。

「プロダクトの外部からの情報収集・分析」と、「プロダクトをさっさと作ってユーザの反応を見ること」は、どちらも重要で、どちらを軽視してもよいというものでもない。

また、プロダクトのタイプによっても、ケース・バイ・ケースで、この力配分は変わってくる。

それらの事情をすべてすっ飛ばして、「とにかく、計画するより、ユーザの反応を見よう」というのは、単に頭の悪い人だ。

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また、(3)競争についても、やはりティールの投資家としてのポジショントークが入っている。ライバルの製品の改良から始めるというのは、ローリスクローリターンであり、まったく新しい製品を新規に開発するのは、ハイリスクハイリターンだ。

ライバルの製品がすでに売れているということは、「そこに市場自体がない」というリスクを避ける事ができる。だから、リスクが低いのだ。その代わり、ライバル製品との競合が発生しやすいので、価格競争になり、利益率が低くなる。リターンも低くなる。

一方で、まったく独創的なオリジナルの商品を開発した場合、「そもそも、その商品を使ってくれるユーザがいない」というリスクが生じる。このため、ハイリスクになる。ただし、そこでネットワーク外部性やブランディングの効果により、先行者利益が得られれば、その市場を実質的に独占することができる。リターンは大きい。

そして、投資効果だけでいくと、ローリスクローリターンよりも、ハイリスクハイリターンの方が、高くなりがちだ。なので、投資家としては、オリジナル商品で勝負してもらった方がありがたい。一方で、あまり巨大なリターンなどもらっても意味のない起業家にとっては、ローリスクローリターン型の方が都合がよかったりする。

ただし、ここには、単なる投資家のポジショントークを越えた、ティールの「個人的趣味」がある。かれは、オリジナル商品の創造が、個人的に好きなのだ。独創的なサービスがどんどん開発されていくような世界が好きなのである。

なので、その個人的趣味を正当化するために、「独創的なサービスの開発が世の中を良くするのだ」という理屈を延々とほんの中でこねている。

 

蛇足だが、偶然、私の個人的趣味もティールと一致する。私も、独創的なサービスが次々と生み出されるような世界の方が、個人的に好きである。

もちろん、私の個人的趣味を押し付けるつもりはない。とくに、病的なまでに失敗することが嫌いな起業家が、ローリスクローリターンのやり方をとることを、頭ごなしに否定するつもりはない。ただ、それを見てもワクワクしないだけである。そんなこと、やってて楽しい?と思わないでもないが、口に出したりはしない。

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最後の(4)ブロダクトと販売については、ティールに同意するしかない。

とくに、営業・販売・広報の仕事に対する無理解・偏見・差別意識を持つ起業家は、販売を軽視しがちだ。

実際にプロダクトを作っている自分こそが偉いのであり、それを売っているだけのやつらなど、いくらでも首の挿げ替えの効く使い捨て戦力だ、とまでは言わないが、営業を一段下に見る人達がいる。

もちろん、プロダクトと販売のどちらにどれだけ力を入れるべきかのバランスは、プロダクトの種類によって違う。

本質的にバイラルしやすいプロダクトとバイラルしにくいプロダクトがあり、バイラルしにくいプロダクトの場合、質の良いプロダクトを作れば、自然に売れるようになる、というものではない。

たとえば、美容整形外科のサービスなんて、口コミでは広がらない。むしろ、整形で美人になったことなんて、できれば隠したいぐらいであって、「あそこの整形外科はよかったわー」なんて、積極的に言いふらす人はいない。

そういうプロダクトでは、はじめから、がっつり集客費を予算計画に組み込んで、販売戦略を立てなければならない。

また、口コミで広がるタイプの商品だったとしても、ネットワーク外部性が強く働く商品の場合、クリティカルマスを突破するまでは、がっつり集客費を注ぎ込んだ方がいいケースも多い。どんなに優れたプロダクトであっても、最初のうちは、ネットワーク外部性が逆に働いてしまうので、いつまでたってもクリティカルマスを突破できず、鳴かず飛ばずのまま終わってしまうこともあるからだ。

これらの、販売の重要性を深く吟味することもなく、「販売よりもプロダクト」とやってしまうのは、単に思考停止のイデオロギーでしかない。

そして、人間というのは、自分を肯定してくれるイデオロギーが正しいと思い込みたがる生き物なのだ。この誘惑に負けると、待ち受けているのは、無残な失敗という、これ以上ない、自分自身の否定の運命なのだが。

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まとめると、ティールの主張にはポジショントーク、自己正当化、個人的趣味などが含まれているので、そこは話半分に聞いておいたほうがいい。

しかし、十分に傾聴に値するどころか、リーン・スタートアップ信者が陥りがちな落とし穴についての鋭い洞察も含まれているので、彼の本は、読むだけの価値があると思う。

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

リーン・スタートアップ

意外と知られてない、売上が激増する「勘違い&撤回」テクニック、にカモられないようにご注意

「ゲスくて有能」なタイプの営業マンなら「常識だろ」と言うでしょうが、
一般人には意外と知られてない、とても効果的なエグい販売テクニックを一つご紹介。


たとえば、どこで買っても150万円ぐらいする、いい感じの自動車が、
90万円で売っている。
破格の安さだ。こんな安いの見たことない。
これほど明らかにお買い得のやつは、めったに出くわさない。

店員に確認してみても、この値段で間違いはないと言う。

見ているうちに、他の客が、こちらに近づいてくる。
あちらの客が、この値段に気がついたら、先に買われてしまうかもしれない。
これを逃したら、こんなチャンスは二度とやってきそうにない。

そこであなたは、他の客に買われる前にと、
即座に購入契約書にサインする。

店員が、その契約書を持って、店の奥へと入っていく。
契約の手続きをするためだろう。

店員が出てくるまでの間、
あなたは、超お得な買い物をしたことで、最高の気分になっている。
いまや、「ほぼ自分のものになった」自動車を眺めながら、
その自動車を使って行う、いろいろなことを空想する。

この自動車の後部に、子どもたちを乗せよう。この広くて快適なスペース、広い窓、高い天井、子供たちは大喜びするだろう。妻も喜ぶだろう。そうだ、これだけ広ければ、自転車も載せられるぞ。いや、バーベキューセットだって載せられる。海に遊びに行く時も、旅行に行くときも、たくさん荷物を載せても、とても快適だぞ。ほう。カタログを見ると燃費もすごくいいんだな。衝突時の安全性も高いのか。これは、普通の値段で買っても悪くない買い物だぞ。

。。。

かなり時間が経ってから、
ようやく店員がでてくる。

そして、店員が申し訳なさそうに告げる。
「大変申し訳ございません。
上司に確認いたしましたところ、この値段は、担当の者のミスであることが分かりました。
正しい値段は。140万円でした。」

しかし、自分がその車を買うと、どんなに素晴らしいことになるのか、
それがどれだけ自分の生活を豊かにするのかの理由を、
脳内で大量に創りだしてしまっていたあなたは、
140万円でもその車がお買い得に見えるようになっている。
「140万円でも、一般に売られている150万円よりは、
まだ安いじゃないか」などと、自己正当化を始める。

だから、140万円であることが分かっても、あなたは
その車を買うことにしたのだった。

しかし、そもそもあなたは、90万円だからこそ、
その車を買うと決めたのだった。

なのに、その「そもそもの買う決意をするに至った根拠」が崩れたというのに、
あなたはその車を買うという決意を変えなかった。

これはなぜだろうか?

その理由は、あなたは買う決意をしてしまった後、
たくさんの「他の買うべき根拠」を自分で作り出していたからだ。
そして、それらの「根拠」は単なる空想でもなんでもなく、
紛れも無く事実であり現実だったからだ。
家族が喜ぶのも、天井が高いのも、自転車やバーベキューセットが載せられるのも、燃費がいいのも、全て「事実」なのだ。

「90万円」と誤表示したミスは、偶然起きることもあるし、
意図的に起こされることもある。
しかし効果は同じだ。

この卑怯な販売テクニックの1つ目のキモは、
「客の誤解」から「訂正」までに、
しばらく「時間」を置くことだ。

店員が奥へ行って、なかなか出てこなかったのは、
この「時間」を作るためだ。

この時間を置くことによって、
客は、「その商品を自分が買うべき理由」をどんどん頭のなかで増殖させていく。
客は、自分の「これを購入することに決めた自分の判断は正しい」という
自己正当化のための証拠と理屈をありとあらゆる記憶から引っ張ってきて、
どんどん組み上げていく。
その結果、自分の信念を揺るぎないものにする。
それが狙いなのだ。

2つ目のキモは、
「すでに店員は撤回と謝罪をしている」ということだ。
店員は潔く自分の間違いを認め、それについては、誠実な謝罪をしている。
もはや、少しもウソをついていないのだ。
誠実に間違いを認めて謝罪している店員を、
これ以上責めることは難しい。

3つ目のキモは、
この「勘違い&撤回」テクニックを使っても、
詐欺で訴えられることはほとんどない、ということだ。
本当に価格表示ミスだったのか、狙ってやったのかを、
証明することは非常に難しいからだ。
ほぼ完全犯罪が、簡単に成立してしまうのだ。

4つ目のキモは、
その客自身が創りだした「購入すべき理由」は、
全て事実だということだ。
事実なので、否定のしようがない。

5つ目のキモは、
それらの「買うべき理由」は、店側が洗脳によって客に刷り込んだのではない、
という点だ。
客が、自分で自分を、勝手に洗脳しただけだ。
客が自発的に「その車を買うべき」という強固な信念を育て上げたのだ。


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もちろん、
「ここまでゲスいことをやってまで、売上を上げたいとは思わないわ」
という営業マンも多いだろう。
しかし、これをやる営業マンは結構いる。
それも人格破綻者などではなく、普通に気のいい人だったりするので油断ならない。

一方で、一消費者としては、このテクニックは知っておくにこしたことはない。
知らなければ、こういうテクニックを平然と使ってくる
「騙される方が悪いんだ」「授業料だよ」という営業マンのカモにされるだけだからだ。

もちろん、この記事へコメントをする人は、
「こういうテクニックを使う営業マンは、人間性を疑うよね」
「うちは、絶対こんな汚いことはしませんから」
というポジショントークのコメントをした方がいい。

実名を明かしてネットをしている人なら、
なおさらである。

百年前の人に、百年後に現在のようになる、と言って信じるだろうか?

 百年前、

百年後、量子力学の原理に基づく半導体素子よって、人間の何億倍もの速度で計算する機械が何億台もつくられ、それらが地球規模のネットワークで結ばれて、世界中の何億人もの人が地球の裏側の事件をリアルタイムで世界中に知らせられるようになる。それを前提に国家百年の計を立てねばなるまい。

と言って、政策議論をしようとして、まじめに取り合ってくれただろうか?

 

百年前、

百年後、日本は、肉眼どころか双眼鏡ですら見えないほど遠くにいる敵を撃滅する兵器を大量に搭載した戦艦や、機関銃や手榴弾を大量に浴びてもすべて跳ね返すだけの強力な装甲に覆われ、厚さ4cmの鋼板も打ち抜けるほどの威力と5km先のサッカーボールを撃ちぬくほどの超精密な射撃精度を兼ね備えた大砲を持ち、時速60kmで走行可能な戦闘用車両を何十台も保有し、人類を10回滅ぼせるだけの軍事兵器を持った世界最強の軍事大国と軍事同盟を結んでいる。それを前提に、国家百年の計を立てねばなるまい。

と言ったら、机上の空論だと思ったのではないだろうか。

 

百年前、

百年後、日本の農業の労働生産性は今の何十倍にもなるため、いまの数分の1の農業労働力しか使わずに今の何倍もの農産物を生産しようと思えば容易にできるようになっている。それに加えて、とてつもない分量の食料を凄まじい低コストで、地球の裏側から運んでこれる超巨大貨物船の出現で、世界中から恐ろしいほど安価に農産物を輸入できるようになっている。このため、日本人の大部分は農業につく必要がなくなって農業以外の職業についている。それを前提に、国家百年の計を立てねばなるまい。

と言って、話が通じただろうか?

 

なぜ百年後の正しい未来が非現実的に見えてしまうかというと、たいていの人は、未来というのは、現在の延長線上にあると思い込んでいるからだ。「明日」は常に「今日」と地続きであり、不連続な飛び地に明日がやってくるということが、どうしても感覚的に理解できない。量子力学の台頭を誰が予測できただろう?


戦艦の時代に生きている人の精神世界では、未来は現在の戦艦をより高性能化したものになることこそが「現実的」な未来予想図に思える。未来は、より大きく分厚い装甲と巨大な砲塔を備えた戦艦の時代になるに決まっていて、イージス艦のような大量の超高性能センサーと高速演算コンピュータと広域電子リンクシステムと超高性能ミサイルが密結合されたネットワークが戦場の命運を分けるようになる未来は非現実にしか思えない。

 

もちろん、文化財や絶滅危惧種の保護、財政、政治制度など、百年前の人たちが、百年後のためにできたこともそれなりにあったろう。だから「百年後にどうなるかわからないから」という理由でうなぎを絶滅させてもいいということにはならないし、文化財を破壊していいことにはならないし、際限なく国債を発行して子孫に借金を押し付けてもいいことにはならないし、野放図に放射性物質を撒き散らしてもいいということにはならないし、簡単に戦争に巻き込まれるような憲法に改正しても問題ないということにはならないだろう。
しかし同時に、子孫たちのための政策を議論する場合、百年後のために今から心配して意味のあることと、そうでないことの区別を十分につけて議論しないと、あまり意味のある議論にならないどころか、現在の人々の生活に無駄な犠牲を強いることにもなりかねないのではないだろうか。