読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

分裂勘違い君劇場の別館

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/ の別館です。

経営者に正当な賃金を支払わせたいなら、

正当な賃金を支払う会社に転職しましょう。

正当な賃金を支払う会社がどこにあるのかって?

それは、正当な賃金を受け取っている労働者が知っています。
インターネットで聞けばいいじゃないですか。

正当な賃金を支払う会社に転職しようとしたけど、面接で落とされた?

たまたま相性が悪かったんです。どんどん次を探しましょう。

正当な賃金を支払う会社に応募しても、自分は採用される気がしない?

気のせいである可能性がけっこうあります。
まずは、20社ぐらい応募してみましょう。
話はそれからです。

冷静に考えて、正当な賃金を支払う会社が自分を雇うとは思えない?
...あなたの言う「正当な賃金」の定義はなんでしょうか?

多くの経営者は、
「500万円払うだけの価値がある仕事」をしてくれる労働者に500万円払うのが「正当な賃金」の支払いだと考えています。

もし、あなたの言う「正当な賃金」の定義が、
「自分が人間らしい生活を営むために必要な賃金」というものであるなら、
会社側との話はいつまでも平行線で、交渉はまとまりません。

その場合、あなたが交渉すべき相手は、会社ではなく、社会であり国家でしょう。
不当に低いのは、賃金ではなく、生活費でしょう。
足りない分は、会社が支払うべきものではなく、負の所得税などの
福祉で支払われるべきものなのではないでしょうか。

もしくは、法律や行政による最低賃金の引き上げで対処するべきものでしょう。

経営者にかぎらず、多くの人間は、「割に合う」取引にしか応じません。
あなたを「正当な賃金」で雇うことが割に合うと考える経営者がいないなら、
あなたに転職先が見つからないことは不思議ではありません。

いくら転職活動をしても「正当な賃金」を支払う会社が見つからない場合、
経営者を非難しても問題は解決されません。
それは本質的には、経営者ではなく、行政や法律の問題なのですから。

面接では「能力が高くないと言えないこと」を言って欲しいだけなんですよ

面接で、その人が過去にやった仕事の内容を聞くと、「単なる仕事の思い出話」とか「自分語り」を始める人が多いんですが、そんなことを聞きたいわけじゃないんです。

 

面接の目的は、能力チェックと人柄チェックです。
そして、能力チェックの過程で人柄はわかっちゃうもんなので、わざわざ人柄チェックのための質問をすることはないです。

 

また、「私は能力が高いです」という「自己申告」も聞きたくないです。
自己申告をいくら喋っても、それは能力があることの「証明」にはなってないです。

 

面接の時に聞きたいのは、「能力が高くないと言えないこと」です。

それを、それだけを喋ってください。

 

能力の高さが明らかになるように喋ってくれるのなら、必ずしも仕事の話じゃなくてもいいことも多いです。
家事の話でも、料理の話でも、趣味の話でも、自分の好きなゲームの話でも、面白かったアニメのことでも、学生時代のサークル活動の話でも、なんでもいいです。

 

なぜ、それをやったのか? なぜ、その方法でやったのか? 他にどんな方法があり、どのような比較分析を行って、なぜその方法を選択したのか? そのために、どれだけ徹底して緻密に調査し、分析し、とことん考えぬいて、最良の意思決定を行ったのか? そのプロセスを詳細に語って欲しいです。

そしたら、こちらは徹底的にその調査、分析、思考、意思決定の細部をとことん問い詰めます。それにとことん答え抜いてください。

 

そうすることによって、はじめて、こちらは、あなたの能力の高さが把握できます。
なぜなら、このプロセスを踏めば、いくら無能な人間が有能なふりをしても、まず途中で化けの皮が剥がれるからです。

 

もちろん、毎回、面接の一番最初に、「○○と××の能力がどれくらいか見させていただきたいので、よろしくお願いいたします。」と言ってから面接を始めていますよ。

 

関連記事:

未来の転職が、過去にさかのぼって現在の自分を有能にする

「iPadPro × hulu × 布団」がダメ人間製造機すぎる件

布団の中でiPadProでhuluでアニメを見ていると、快適すぎて、ずっと布団から出ないまま一日が過ぎてしまう。

私はhuluを誤解していた。見くびっていた。

第一に、huluは画質が悪いと思っていた。huluはネットの動画配信サイトだから、画質も音も、DVDよりもずっと粗悪だと思っていた。
見てビビった。
画質も音も、DVDとたいして変わらなかった。一部粗悪な画質のコンテンツもあるが、DVD並のクオリティのコンテンツがたくさんあった。

第二に、日本のアニメはないと思っていた。huluは外国のドラマを配信するVODサイトだと思っていたからだ。
しかし、しっかり日本のアニメのコーナーがあった。しかも、けっこう充実している。

第三に、huluのSVODという課金方式は理不尽だと思っていた。利用しようがしまいが、毎月一定金額を取られるサブスクライブ型のVODというのは、割にあわないと思っていた。
ペイ・パー・ビューのVODと比較してみて、SVODの心理的意味に驚いた。
ペイ・パー・ビューだと、一つの動画を購入すると48~72時間以内にそれを見ないといけなくなる。このため、途中まで見てから気が変わって、「残りは来週見よう」ということができない。一度購入したら、気が乗らなくても、やらなければならない作業があっても、最後まで見ないといけないような、いやな気分になる。
SVODだと、これがない。
さらに、SVODだと、「試しに途中まで見て、つまらなかったら、残りは見ない」ということができる。テレビをザッピングするように、何千もの動画コンテンツをザッピングできる。

私は、iPadProも、見くびっていた。

第一に、布団に横になって長時間iPadProを見ていると、手が痛くなってしまうだろうと思っていた。
予想に反して、そうはならなかった。
私は、iPad4を何年も愛用していたが、iPad4は、長時間布団の中で動画を見ていると、手が痛くなる。iPad4よりも60g重たいiPadProは、さらにもっと手が辛くなるだろうと思っていた。
しかし、布団の上で横向きに寝転んで見る場合、iPadProは筐体が巨大なので、筐体の一方の端を布団が支える形にしても、画面の傾きがそんなに問題にならないことが分かった。しかも、筐体のエッジの部分が丸くなっているため、iPad4のように手に食い込まず、長時間手のひらに載せていてもさほど痛くならない。

第二に、映画もアニメもドラマも、iPadProの12.9インチ画面で見るより、46インチのテレビ画面で見たほうが、ずっと面白いだろうと思っていた。
しかし、30cmの距離で見るiPadProの12.9インチ画面がもたらす没入感は、2メートルの距離で見る46インチ画面を凌駕していた。

第三に、映画もアニメも、重低音が腹に響くウーファー付きのホームシアターで体験してこそ、楽しめると思っていた。iPad Proのしょぼい音響では楽しめないと思っていた。
たしかに、音響ではホームシアターにはかなわない。しかし、ホームシアターはその大音量のゆえに、同居人に迷惑にならない時間帯にしか見れないという制約があるのに比べ、iPadProはどんな時間帯でも見れる。それに加え、iPadProの音響は映画やアニメを楽しめないというほど悪くはない。

第四に、「起きてすぐ、布団から出ずにコンテンツを見始められる」というのは、まるで超一流のUI/UXデザイナーによって設計されたWebサービスのように、恐ろしくコンバージョンレートが高い。テレビで動画を見る場合、まず布団を畳まなければいけないが、布団を畳んでいるうちに、家事をしようとか、勉強をしようとか、運動をしようとか、仕事をしようとか、いろいろ考え始めて、結局、映画もアニメも見ずに、充実した休日を過ごしてしまうのだ。非常にドロップ率が高くなる。

私は、布団も、見くびっていた。

私は、ソファーに座って、テレビ画面でコンテンツを見るのが、いちばん快適な動画コンテンツの視聴環境だと思っていた。
しかし、動画コンテンツの視聴環境としては、ソファーよりも布団の方が優れているということを思い知った。
いままで、これに気が付かなかったのは、iPadProとhuluがなかったせいだった。
ある意味、iPadProとhuluが、「動画コンテンツの視聴環境としての布団」という、布団のユースケースの価値を飛躍的に高めたのだ。これは、イノベーションだ。寝具業界は、この新しい布団の利用方法に着目すべきではないだろうか。iPadProでhuluを見ることを想定してベッドを設計すべき時代なのかもしれない。

「iPadPro×hulu×布団」は、一つの革命であり、勃興する新時代のライフスタイルである。
ただ、たいていのイノベーションはGDPを押し上げるものだが、このイノベーションは、GDPを押し下げてしまうような気がしてならない。
しかし私は、この2日間の「iPadPro×hulu×布団」ざんまいのせいか、とても幸せな気分が続いており、GDPがどうなろうと気にならなくなってきている。。。

99.99%の人間は人工知能を専門にするのはやめたほうがいい

清水亮氏が
「いま日本に圧倒的に足りないのは人工知能に詳しい人材」
「いま大学三年生の人がいたら、文系だろうが理系だろうが、とにかく今すぐAIの研究を始めたほうがいい。」
と主張しておられる。

 

たしかに、今後数年~十数年で、人工知能技術はありとあらゆるビジネスに入り込み、多くの職場で、それを使いこなせないと日常の業務が回らなくなっていくと思います。

 

ただし、就職面接で「人工知能を使いこなすスキルがあります!」とアピールするのは、「エクセルを使いこなすスキルがあります!」とアピールするのと同じ意味合いを持つようになっていくと思います。

人工知能テクノロジーを使いこなすスキル自体は、ウリにならなくなっていくんです。

 

その理由は、次のとおり:
(1)人工知能のツールやライブラリがどんどん高機能かつ使いやすくなっていく。
(2)人工知能技術を簡単にマスターできる優れた入門書がどんどん出てくる。
(3)そもそも殆どの職場では、定番の人工知能の入門書を読んで、定番の人工知能ツール/ライブラリを使えば、十分に業務をこなせるレベルの人工知能技術しか必要とされてない。
(4)実際に必要なのは、仕事上の課題の切り出しとその解決であって、人工知能は、そのための無数の手段の1つに過ぎないから。

 

つまり、実際に現場で必要とされる人工知能スキルなんて、すごく小さくて薄っぺらいものでしかなくなっていきます。
エクセルが使えないと話にならないけど、エクセルができるから仕事ができるってもんじゃないんです。

 

一方で、「実際に人工知能を使いこなせる人材」自体は、今後もずっと不足すると思います。
なんでかというと、人工知能を使いこなすための土台の部分の能力やスキルを持っている人材が、今後もずっと不足するからです。
その土台とは、数学力、プログラミング能力、英語力、顧客理解、ビジネス理解、課題抽出力、課題解決力、企画力、誠実さ、などです。

たとえば、あるおっさんが
「人工知能の入門書を読んだら、すげー難解なので、読むのに2週間もかかっちゃったよ」
と言ってたとします。
しかしその人に、具体的にどこに時間がかかったのかを聞くと、
「いやー、行列も対数も微分もすっかり忘れちゃっててさー。数学の復習をしながらだから、えらい時間がかかっちゃったよ」
とか、
「『事後確率』とかいう言葉がいきなり出てきてさ。で、ググったらどうもベイズ理論の概念らしいんだわ。で、ベイズ理論の入門書まで読む羽目になっちゃってさ」
と答えたりします。
結局、それって、『人工知能』の理解に時間がかかったんじゃなくって、人工知能の土台になってる『数学』と『ベイズ理論』の理解に時間がかかっただけでしょ?
ベイズ理論なんてずいぶん昔からあるやつだし。

 

また、仕事で重要なのは、高度な人工知能技術を使いこなすことではなく、顧客の課題を解決すること。顧客の課題を的確に抽出するセンスや能力が低いと、見当違いなところに人工知能技術を使ってしまい、「で、それの何が嬉しいの?」って話になる。
適切な課題を抽出し、適切な課題解決方法を見ぬく能力こそが一番重要で、その解決方法の選択肢の1つとして人工知能を使いこなせる、そういう人材こそが、今後求められていくし、そういう人材は、今後もずっと不足し続ける。

そして、「顧客のかかえる課題を適切に抽出する能力」を身につけるには、人工知能を使いこなすスキルなんかより、はるかに時間がかかる。

 

数学もそう。数学力の土台がしっかりできてる人であれば、人工知能なんて簡単にマスターできるけど、そういうベーシックな数学力の土台を固めるには、人工知能スキルよりはるかに時間がかかる。

実は、ビッグデータとかデータサイエンティストとかの話も全く同じで、数学力とビジネス課題抽出能力が十分に高い人なら、ほとんどの会社で必要とされるデータ分析能力を身につけるにはそんなに時間がかからないし、逆に、それに必要な数学力とビジネス課題抽出能力を身に付けるには、すごい時間がかかる。

 

「でも、人工知能を勉強しないより、勉強した方がいい」って?
いや、それよりも、その時間を、人生をもっとちゃんと味わうことに時間を使った方が、投資効果が高いと思います。
「ビジネス課題の抽出能力」って、結局は、顧客の課題の抽出能力だし、顧客ってのは直接的もしくは間接的にエンドユーザにつながってる。エンドユーザの心理をよりしっかり理解できている方が結局は、ビジネス課題の抽出能力も高くなる。
要は、「どれだけ人間ってものがわかってるか?」「商売ってものがわかってるか?」「組織ってものがわかってるか?」という勝負になる。
そうなると、いろんなものごとの楽しみ方、いろんな人の愛し方やつきあい方が、頭ではなく身体で分かっている人が、結局は、一番うまく課題を抽出し、解決できる。
だから結局は、そういう人こそが、どこに、どんなふうに人工知能技術を適用すれば、大きな顧客価値、ビジネス価値を創造できるかを見ぬく能力を持つことになる。
そういう人間こそが、もっとも上手く人工知能技術を使いこなせるようになる。

そして、この能力を身につけるには、人工知能技術などより、はるかに長い時間がかかる。

だから、人工知能の勉強なんて、機械学習の特集をやってる「データサイエンティスト養成読本」とかの雑誌でも読んで、あとは、「深層学習」とかの人工知能の入門書を何冊か読んでおく程度で十分。それが難解で理解できないという人の場合、欠けてるのは人工知能スキルじゃなくて、数学スキルなんだから、人工知能の勉強をやるより、数学の勉強をやった方がよっぽどいい。

そんなことより、もっともっと人生を楽しもう。もっともっといろんな物事を味わおう。もっともっと人間を知ろう。
そっちの方が、よっぽど楽しいしね!

GATEで自衛隊が戦っている本当の敵

「日本の銀座に、異世界へのゲートが開いた」という設定のGATEというアニメがある。

日本政府はこのゲートから自衛隊を異世界に送り込む。
この異世界の文明レベルは中世くらい。
当然、自衛隊と中世の軍隊では、武力の差がありすぎて、
単純なバトルものとしては面白くならない。
敵キャラが弱すぎるゲームをやっても全然楽しくないのと同じだ。

しかし、このGATEというアニメは、なかなかに面白く作りこまれている。

いったい、どのようにして、この面白さが創りだされているのだろうか?

自衛隊が戦っている相手は、一見、異世界の軍隊のように見えるが、
実は、そうではない。
本当の敵は、ゲート利権を狙っているアメリカや中国などの、
こちら側の世界の国々なのだ。

このアニメの中で、
中国の主席は「このゲートから中国国民の半分を異世界に送りたい」という趣旨の発言をしている。
アメリカもこの異世界の利権を狙っている。
頭の切れる自衛隊幹部も、
「日本が異世界へのゲートを独占できるならば、
たとえ日本が世界中から完全に孤立してしまっても、
生きていける」
という趣旨の発言をしている。

世界中の国々が、ゲート利権を日本から取り上げるチャンスを虎視眈々と狙っている。
当然、自衛隊が何か「非人道的」なことをやらかせば、
世界中の国々は、それを口実に、「日本にはゲートを管理する資格はない」と言い出し、
「ゲートは日本政府ではなく、国際連合で管理すべきだ」
という方向へ、話を持っていこうとするだろう。

そんな中、異世界に送り込まれた自衛隊は、
「いかにして、他国に「口実」を与えないように、異世界に根を張るか?」
というゲームをやることになる。

このため、主人公である伊丹(自衛隊員)が現地人を
自衛隊の基地に連れてきたときに、大問題となる。
国際世論から「強制連行」だと非難されかねないからだ。
強制連行ということになったら、他国が日本のゲート利権を取り上げる格好の口実にされてしまう。

しかし、伊丹が連れてきたのが「火龍に襲われた村からの避難民」であることが判明し、
むしろそれは歓迎されることになる。
「難民受け入れ」であれば、十分に大義名分が立つし、
国際世論にも付け入る隙を与えないからだ。
それどころか、現地人とのパイプもできるし、現地文明に関する情報が大量に手に入る。

結局、このアニメの主人公は、「自衛官 伊丹」というより、
「外交官 伊丹」、もしくは、「政治家 伊丹」なのだ。

この物語は、伊丹が、これから、外交官あるいは、政治家として成長し、
現地の人々との関係を築きあげていくことで、
深みを増し、面白くなっていくのではないだろうか。

ある意味、これは、いかにも「自衛隊」らしい戦いとも言える。
どの国の軍隊も海外に派遣されれば、一種の外交官になるが、
海外に派遣された自衛隊員は、ことさらその傾向が強くなる。
主なミッションは、敵を殲滅することよりも、現地の人間の信頼を勝ち取ることだ。
中世世界における自衛隊にとっては、敵を殲滅することはさして難しい仕事ではないので、
なおさら、「現地との関係構築」こそがメインミッションになっていく。

このアニメのタイトルは、
「ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり」だが、
自衛隊がいったい「何」と戦っているのか、
そこが見えていないと、
このアニメの面白さが見えなくなってしまうのではないだろうか。

ほとんど苦痛がなく、すごく気持よく続けられる運動習慣のコツ

 

■『好きなスポーツ』の中の『とくに気持ちいい動き』だけを集中的にやる
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

走るのが嫌いな人がジョギングなんてやったって続くわけがないです。続いたとしても、だんだん憂鬱な気分になってきます。
だから、運動を続けたければ、好きなスポーツをやるべきです。
しかし、どんなに好きなスポーツの中にも、あまり楽しくない動きもあります。
なので、好きなスポーツの中の『とくに気持ちいい動き』だけを選んで集中的にやります。

たとえば、僕は格闘技が好きですが、その中でも、打撃系の技を出すときに、爽快感を感じます。
中でも、ジャブがとくに好きです。ジャブからつなげるワンツーが好きです。ジャブで牽制しておいて、前蹴りやローキックを叩き込むのも好きです。もつれ合った時に頭突きを食らわすのが好きです。肘打ちを肋や顔面に叩きこむのも好きです。
なので、シャドーボクシングやサンドバッグ打ちで、これらの動きばかりを、気が済むまでやります。すごく気持ちいいです。
あと、ボールを投げるのが好きです。なので、豪速球を投げる動作をやります。気が済むまで何度もやります。

 


■ストレッチはやらない
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「運動する前にストレッチをやらなきゃ」と思うと、めんどくさくなって運動自体をしなくなってしまいます。
「え?でも、ストレッチせずに運動したら、怪我をするのでは?」とおっしゃる方。
それは前世紀の常識です。
実は、運動する前にストレッチをやっても、怪我を減らす効果がないことが、いくつかの研究で確かめられています。

ただし、運動を始めるとき、いきなり負荷や可動範囲をMAXにすると、怪我します。
最初は、関節の可動範囲を小さくはじめて、だんだん関節の可動範囲が大きくなる動きにしてゆきます。
また、筋肉への負荷も、最初は軽い負荷からはじめて、しだいにパワーを上げてゆきます。

もう少し正確な表現をすると、運動前には『静的』ストレッチ(従来型のストレッチ)はやらず、『動的』ストレッチ(いわゆる『ストレッチ』とは別物)をやるようにします。

 

 

■『中毒になるほど気持ちいい運動具』を使う
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ご存知の方も多いと思いますが、実は、サンドバッグ、最高に気持ちいいです。
殴るのも蹴るのも頭突するのも肘打ちを叩きこむのも、爽快で、痛快で、脳内でなんかが出てきます。
なので、息が切れてへろへろになるまでやり続けられます。
少し休んで呼吸が整ったら、またへろへろになるまでやれます。
やり始めると、中毒にかかったように、動けなくなるまで、やめられなくなります。

ただ、サンドバッグを使わせてもらえるところって少ないんですよね。
しかし、これを確保できるかどうかが運動習慣が身につくかどうかの分水嶺だと思って、なんとか創意工夫して確保するのがいいんじゃないかと思います。

どうしてもサンドバッグを確保できない場合、シャドーボクシングでも、結構楽しめます。

 


■体調の悪い時は運動しない
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

体調の悪いときに無理して運動しても、楽しくないです。
楽しくない運動をやると、『運動=楽しくない』という心理的結びつきが脳内で形成されてしまいます。
これが起きると、体調のいい時まで、運動する気持ちが起きにくくなってしまいます。
なので、運動して楽しくなれるような体調の時だけ、運動するようにします。

インターステラーの面白さはどのように創りだされているか?

ネタバレ注意!



























■結末が気になる事態を引き起こし、決着がつかないまま引っ張る
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「人類は滅亡するのか!?」って物語は、もう誰もが飽き飽きしている。
だから、「人類は滅亡するのか?どうなる?」と視聴者をハラハラさせ続け、その結末を、物語の最後まで引っ張る構造はあるにはあるんだけど、それだけじゃ、全然足りない。

なので、「父と娘は仲直りできるのか?どうなる?どうなる?」という、もう一つの「ハラハラ引っ張り要素」を追加することで、補強している。
これによって、物語の展開がどうなるかに、読者の気持ちをひきつけてる。
だから、当然、なかなか仲直りできず、かと言って、決定的な断絶(どちらかが死ぬとか)にならず、引っ張る、引っ張る。最後まで見ないと、結末は分からない。

もちろん、「父と娘の関係」だけでも不十分。あくまで、「人類の運命」と「父と娘の関係」の合わせ技で一本となる。

当然、「父と娘が仲直りできるか?」の緊張感を創りだすために、たくさんの仕掛けが作りこまれている。
つまらない人物同士の関係が悪かったところで、それが仲直りできるかどうかなど、気にならない。
娘と父の両方が魅力的な人物でないと、視聴者は、その二人が仲直りできるかどうかが気にならない。

このため、父と娘を、魅力的にするためのシーンが作りこまれることになる。

娘は、知的好奇心旺盛で、才能があり、かつ、社会の枠から飛び出す逸脱行為をしなければいけない。社会の枠に収まらないほどの才能と魅力を備えていなければならないからだ。しかも、その逸脱行為を正当化するためには、社会の枠の方が悪でなければならない。
なので、その社会が悪であることを描く必要がある。
なので、「アポロの月着陸は捏造だ」と学校で教えるような、腐った学校を描く必要がある。

「人類は滅亡するのか?」のハラハラ引っ張りの方を魅力的にするには、もちろん、滅亡へと向かう人類をリアルに演出する必要がある。
その一つが部屋中に積もりまくってる土埃。砂嵐。あるいは、ビールを飲んでいる時の背景の蚊。燃やされるトウモロコシ畑。

 


■視聴者に予想させておいて、その予想を裏切る
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
まず、「宇宙に行く見込みを絶たれた社会」だと視聴者に信じさせる。
これを読者にリアルに感じさせることで、「実はNASAは存続していた!」というシーンがドラマティックになる。

つまり、「実はNASAは存続していた!」を劇的に見せるために、
「アポロの月着陸は捏造だ」と学校で教えるという布石が生きてくる。

つまり、「アポロの月着陸は捏造だ」という要素は、二重に面白さを作り出している。
一つは、「父と娘の関係」の緊張感を引っ張るためであり、もう一つはNASA存続の登場感を演出するため。
こういう風に、1つの基礎要素を、2つ以上のおもしろ要素創出に使う構造が多ければ多いほど、視聴者は、その映画の面白さの密度が濃いと感じる。

砂嵐。積もる土埃。も、「宇宙に行く見込みを絶たれた社会」のリアリティを出して、存続していたNASAを面白く見せる効果を創りだす。いまは、必要とされているのは農業家であって。。みたいな話も同じ。

これと同じパターンの要素としては、ワームホールの向こう側で、先に居住可能惑星を探査していたリーダー格の人が、実は、居住可能でもないのに、居住可能である、とウソの申告をして、人々を騙すところ。
視聴者に、その人を信頼させておき、その人に裏切らせる。これにより、視聴者はショックを受ける。裏切りの効果を演出するために、信頼を作りこむ。

もっと大きいのが、重力を操る方程式なんて、解けるわけないことが分かっていて、それを解いてみせる、とウソをついて、人々を騙していたこと。それに騙されていたことが分かって、視聴者が受けるショックを大きくするために、その人物が信頼に足る人物であるように視聴者を思い込ませる演出が、映画の中で練りこまれている。

 


■まだ解けていないミステリー(謎)を残したまま、引っ張る

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
いったい、誰が本棚を使って、モールス信号や2進数でメッセージを伝えたのか?
その謎を残したまま、物語が進む。
視聴者は、「一体誰が?」を知りたくて、物語に注意を引きつけられる。引き込まれる。

 


■デウス・エクス・マキナのロンダリング

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ブラックホールに落ちたら、もう絶対に助からないわけで、そこから助かるには、もうデウス・エクス・マキナしかない。
しかし、デウス・エクス・マキナによる終わり方は陳腐に感じる。
なので、デウス・エクス・マキナを、「自分たちの子孫である未来人」という設定にすることで、デウス・エクス・マキナ臭さをロンダリングしている。
また、「重力を操る方程式を解く鍵が、ブラックホールの中にしかない」という伏線を貼ることで、「ブラックホールの中から、その情報を取り出す」という物語の展開を、予め読者に、必然として受け入れられるように、心の準備をさせておく。これも、デウス・エクス・マキナのロンダリングテクニックの一つ。
つまり二重のロンダリングをしていることで、デウス・エクス・マキナの問題点を解消するテクニック。
ちょっと、野暮ったいけど、けっこう通用しちゃうテクニック。

 

 

■理不尽によって、読者の感情を刺激する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「アポロの月着陸は捏造だ」という「常識」を人々に強制しようとする理不尽な教育は、読者にストレスを与え、その理不尽さに対する怒りと絶望を掻き立てる。その怒りと絶望のエネルギーによって、視聴者を行動に駆り立てる。ただし、視聴者は物語の登場人物ではないので、登場人物に感情移入することで、自分が登場人物となって行動する。心理的に。これも、読者を物語に引き込むテクニックの一つ。
復讐の物語なんかも、同じ構造のテクニック。読者を怒らせ、読者を行動に駆り立てる。登場人物に自分を重ね合わせて。

 


■人間性に対する洞察と哲学

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

正直度とユーモア度をロボットに設定する、というのは、人間性に対する洞察と哲学がある。
多くの人は、正直度100%が美徳だとなんとなく思い込んでいるが、現実にはそんなことはない。この、人々の思い込みを、登場人物の人間関係と、行動によって打ち砕いていく、ここにカタルシスがある。
この人間性に対する洞察と哲学も、面白い物語を作るのに、かなり重要な要素。