分裂勘違い君劇場の別館

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/ の別館です。

儲かったら社員に分配するより貯めこんだほうが企業はうまくいく

たっぷり現金があれば、イヤな客からのクソ案件を断ることができる。
しばらく収入がなくなったとしても、優良顧客からの美味しい案件が入るまで、貯金で食いつなぎながら待てばいい。
現金持ちの企業が断ったクソ案件は、現金のない企業が苦しみながらこなすことになる。

思わぬチャンスが訪れたとき、現金がなければ、そこに優秀な人材をアサインすることができない。
ろくに現金のない企業は日銭を稼がないと潰れてしまうから、優秀な人材を、日銭を稼ぐための案件に投入してしまう。未来を切り拓く案件に優秀な人材を投入できないのだ。

不運に備えるには大量の現金が必要だし、
幸運に備えるにも大量の現金が必要だ。

不確実性の時代には、不運と幸運の両方の量が多くなる。
だからより多くの現金を保有した企業が有利になる。

世界の不確実性はどんどん増してゆき、未来はますます予測が難しくなっている。
リーマン・ショックを、誰が予測できただろうか?
スマホの急速な普及を、誰が予測できたろうか?
中国バブルがいつ崩壊するのか、誰が予測できるだろうか?そもそもあれはバブルなのかどうか、誰に区別がつくというのか?

より不確実な時代には、よりたくさんの現金を、企業は貯めこまなければならない。

企業が現金を溜め込むから景気が悪くなる?
そうかもしれない。
しかし、ゲームのルールが変わったのだ。
「現金を貯めこむ企業の方が有利になる」というルールになったのだから、
現金を貯めこまない企業はどんどん不利になるだけだ。

 

もっと正確に言うと、ゲームのルールが元に戻ったのだ。たまたま不確実性の低い時代が続いていたが、そんな安定した時代は、人類史においてはむしろレアだ。そのレアな時代が終わり、また元の不確実性の高い世界に戻ったのだ。


企業は、社会全体の景気を良くするために、自社の未来を捨てて、貯めこんだ現金を吐き出さなければならないのだろうか?
日銭を稼ぐのに精一杯のクソ会社に転落しなければならないのだろうか?


儲かった金を労働者に分配せずに溜め込んでしまう企業は、
社員の士気が上がらないし、優秀な人材も集まらないからうまくいかない?
もちろん、儲かっているのに、市場価格よりもはるかに低い賃金しか払わない企業はうまくいかないだろう。
しかし実際には、一部の優秀な人材にだけは多めに払った方がいいだろうが、
それ以外の人材の賃金は、市場価格にやや色をつける程度に抑えておいた方がいい。
それ以外の利益分は、会社に貯めこんでおいた方が、結局は明日に繋がる。
たまたま今儲かっているからといって、宵越しの銭は持たない江戸っ子のように、気前よく社員に分配してしまうような会社に未来はない。明日はどんな嵐になるとも分からない時代だというのに。


現金で貯めこむより、どんどん投資した企業の方がうまくいく?
かつて未来が予測しやすい時代はそうだったかも知れない。
現金を貯めこむより、現金を効率よく投資して利益を生み出す企業の方が、優良企業とされた時代があった。
しかしながら、時代は変わり、ゲームのルールが変わったのだ。
状況が変われば投資は無駄になりやすい。
現金のほうが、はるかに状況変化に強い。
もちろん投資も引き続き重要だが、かつてよりも現金の重要性がはるかに上がっている。
現金預金と投資の最適比率が変わったのだ。
投資を減らし、現金を増やさないと、今の時代、そして、次の時代に適応できない。

 

じゃあ、法律を変えて、企業が現金を貯めこむことに課税するようにすればいい?

日本だけそんな法律を作れば、日本経済の衰退に拍車がかかるだろう。

 

ほんとうに、企業が現金を貯めこむこと自体が、非難されるべきことなのだろうか?
それによって景気に悪影響があるとしても、それは国の金融・財政政策で対処すべきものであって、「企業に現金を貯めこむな」というのはスジ違いなのではないだろうか。
それによって労働者の平均賃金が下がるとしても、それは国が福祉の充実など別の手段で対処すべきものであって、「企業に現金を貯めこむな」というのはスジ違いなのではないだろうか。
それによって投資が減るとしても、その分、企業は幸運と不運に対する対応力が上がるのだ。


結局南極、誰がどんな主張をしようが、
幸運と不運の総量が増大する不確実性の時代は、
企業だろうが、個人だろうが、十分な現金を貯めこんだプレーヤーが圧倒的に有利になる。
そういうルールのゲームになってしまっているのだ。

 

今までの人生で、仕事でも生活でも、役立った本の圧倒的No.1は哲学の本だった

哲学は、「役に立つこと」を目的としない学問だ。
「世の中を良くするかどうか?」「人を幸せにするかどうか?」「文化を豊かにするか?」「仕事に役立つかどうか?」「生活に役立つかどうか?」と、哲学的な価値は、一切関係がない。
たとえ世の中を悪くするような哲学であっても、人を不幸にする哲学であっても、社会的に有害であっても、哲学的に優れていることは、いくらでもありうる。
ましてや、人格的に優れていることが哲学者の条件であるかのように言うのは、噴飯物だ。哲学者とは、世間的な意味で尊敬できる人間のことでは、決してない。

にもかかわらず、実際問題として、仕事においても、生活においても、人生のあらゆる場面を総合して、役に立った本の圧倒的No.1は、哲学の本だった。

 


(1)哲学は金儲けにものすごく役立つ。

金儲けをするには、自分一人であくせく働くのは効率が悪い。金儲けには、チームプレーが欠かせない。

ただし、どんな人間でもチームに引き入れればいいというものではない。やはり、優秀な人をチームに入れたほうが、はるかに効率よく稼げる。

しかし、そう簡単に優秀な人間はチームに入ってもらえない。
優秀な人間は引く手あまただからだ。たくさんの面白そうな会社がその人間にオファーをしている。

そういう中を勝ち抜いて、優秀な人間を口説き落とし、自社に来てもらう必要がある。
この「口説き落とし」に、哲学は、ものすごいパワーを発揮する。
ビジネス、企画、マーケティング、エンジニアリング、広報、経営等のさまざまな課題を、哲学特有の思考パターンで切り込み、捉え直してみせると、優秀な人間の多くは、驚くほど食いついてくる。

世の中のほとんどの人間は、哲学特有の思考パターンに免疫がない。哲学童貞だ。
仕事能力の非常に高い人間であっても、これは同じだ。
知力の高い人間ほど、ビジネス課題の哲学による捉え直しに対する感受性が強く、ぐいぐい引き込まれる傾向にある。
女体に好奇心旺盛な童貞中学生のように、興味津々になるのだ。

また、ビジネスを成功させるには、社員の士気を高めることが欠かせない。
哲学特有の思考パターンを使って「なぜ、その仕事をやるのか?」を紐解いて見せると、社員の士気はどんどん上がっていく。哲学に免疫のない哲学童貞たちは、なにかものすごく深遠な真実に触れたような気分になるからだ。自分のやっている仕事に、こんなにも深い意味があったのだと、感じいるのだ。
しかし実際は、これは単なる思考の錯覚だ。猛烈に頭の悪そうな同僚だって、何も考えてなさそうな幼児だって、カップメンだって、そのへんの石っころだって、トイレットペーパーだって、世の中の大抵のものは、まともに考え抜けば、ものすごく深い。その深さに気づかずにほとんどの人は日々生活しているというだけのことであり、深いのは、自分の担当している仕事に限った話じゃない。
人間は「その仕事にどんな意味があるのか?」が分からないと、モチベーションが上がらない生き物だ。そして、何事につけ、「それにどんな意味があるのか?」をこれ以上ないほど深く追求するのは、哲学にとっては、朝飯前すぎる。それを「哲学」という言葉で呼ぶことすら、不適切なほどに。

また、社員全員のベクトルを揃えてまとめ上げるのにはビジョンが効果的だが、このビジョンを作るのにも、哲学は大きな威力を発揮する。
ほとんどの人間は哲学的思考に免疫がないので、呆れるほど初歩的な哲学的思考を、ほんのスパイスとして使うだけで、ビジョンが社員を惹きつけ、まとめ上げるる力が一気に増す。

 


(2)哲学は、人生のROI(生産性)を最大化するのに、ものすごく役に立つ。

「生産性をあげる」というのは、コストあたりの価値生産量を最大化することだ。
たいして価値の無いもののためにたくさんのコスト(=時間とお金)を使い、人生を浪費してしまうと、人生はどんどん貧しくなっていく。
「気がついたら、ずいぶんと無駄なことをしてたくさんの時間を過ごしてしまった」という経験はないだろうか?
その大きな原因の一つは、何に価値があり、何に価値がないのかを、十分に考えぬいていなかったからではないだろうか?
そして、何に価値があり、何に価値がないのかを見極めるのに、哲学はものすごく役に立つ。
「そもそも『価値』とは何か?」「そもそも『意味』とは何か?」「【そもそも『価値』とは何か?】と問うことに意味はあるか?あるとすればどのような意味があるのか?なぜ、私はそれを問おうと思うのか?」などと問うことから始める。ここから思考を積み上げていって、今、自分がやっていることの意味と価値、これからやろうとすることの意味と価値に、日々、思いを巡らせながら生きる。そうすることで、人生の豊かさを深く感じ取ることができる。自分にとって、意味のないもの、価値の無いものに使う時間を減らすことができる。自分にとって、意味の有ることにだけ時間を使うことができる。
むしろ、哲学抜きに、人生のコストパフォーマンスやROIをどうやって上げればいいのかがよく分からないほどだ。
広告のROIマネージメントには計測が必須だ。その広告にどのような効果があるのか計測できないまま広告を出稿すると、結果として効果の無い広告に大量のお金を払うことになってしまいがちだ。
人生において、自分がRだと思っているものがほんとにRなのかを徹底的に考えぬかずに、どうやって人生のROIを上げればいいのだろうか?


(3)哲学は、それ自体が、個人にとって100億円分以上の価値になりうる。

多くのものごとの、人生における価値は、金額換算できる。
「一生インターネットを使えなくなるが、十億円もらえる」
という取引があったら、あなたは応じるだろうか?
それに応じないという人がいたとすると、その人間にとって、インターネットは十億円以上の価値があるということだ。

インターネットをろくに使ったことがない人は、インターネットなどより十億円の方を選ぶだろうが、インターネットの豊かさにどっぷり浸かって生きている人の中には、インターネットの方を選ぶ人も多いのではないだろうか。

同様に、「今までに哲学の本や議論から得た知識・知恵をあなたの中からすべて消し去り、かつ、一生哲学の知識には触れることができなくなるが、その対価として100億円もらえる」という取引があったら、あなたは応じるだろうか?

私は応じない。
たとえ100億円もらって贅沢三昧の一生を送れたとしても、哲学のない人生の、なんと浅く、なんとつまらないことか。そう感じてしまう。

これも、インターネットの場合と同じで、哲学をほとんど人生に取り入れてない人は100億円の方を選ぶだろうが、哲学がもたらす豊かさにどっぷり浸かって生きている人にとっては、その豊かさが100億円を凌駕することは、珍しくないだろう。

「哲学というのは一種の病気であり、そんなものがなくても普通の人は十分に幸せになれる」という意見があるのは知っている。
しかし、私の幼少時からの疑問 --- 『私』とは何なのか? 『世界』とは何なのか? 『意味』とは何なのか?『価値』とは何なのか? 『正義』とは何なのか?『美しい』とはどういうことなのか?『存在』とは何なのか? 『時間』とは何なのか? それらの疑問に、ほんとうの意味で真正面から答えようとしてくれたのは、哲学だけだった。一生にわたってこれらの疑問とともに生き続けるというのが病気であるというのなら、私は病気なのだろう。しかし、これを病気だと定義して思考停止してしまうのが『健全』な思考と言えるのだろうか?
実際、多くの人間は、自分の仕事に『意味』を見いだせるかどうかで、その仕事の楽しさが大きく違ってくる。そして、仕事の楽しさは、人生の豊かさを大きく左右する。
『意味』とは何かをきちんと考えぬいた方が、はるかに自分の仕事に意味を見出しやすくなることを思えば、むしろ「『意味』とは何か?」というところから問うのは、『病気』というよりもむしろ、『健全』なのではあるまいか?

 


役に立つことが哲学の目的ではないし、それを目的にしたら、もはやそれは哲学ではない。
真実が不道徳であるとき、その真実を指摘しないのが人格者で、指摘するのが哲学者だ。
だから、人格者の言葉は社会の役に立つが、哲学者の言葉は社会の役に立たないことが多い。
しかし、だからこそ、人格者の言葉は信用ならないし、哲学者の言葉のほうが信用できる。
ここには、社会と個人の利害対立の構図が潜んでいる。
それが不道徳であるかどうかに関係なく、人は「ほんとうのところは、どうなのか?」を知りたがるものだ。しかし、社会を維持するためには、不道徳な真実は隠蔽されなければならない。人格者とは、この隠蔽工作に加担する嘘つきどものことだ。
結果として哲学が役立つのは、「ほんとうのところは、どうなのか?」を人々にこっそり耳打ちすることで、その人間を味方に引き入れることができるからだ。それは、耳打ちされた個人にとっては「役に立つ」が、社会全体にとっては「役に立つ」とは限らない。

このような形で哲学は『役に立つ』が、それは哲学者たちの感知するところではない。それが人類に災厄をもたらすか、それとも健やかなる未来社会の建設に資するか、そんなことは、哲学者たちにとっては雑念でしかない。そんなことを気にして掘り下げられた哲学は、もはや哲学ではない。

我々はただ、哲学と、そういうものとして、向き合うだけだ。

私は「支持政党なし」党に投票します

2013年に結党された政治団体「支持政党なし」をご存知だろうか。

この政党は、一切の政策を持たない。

この政党の党員が法案ごとにWebで投票し、この政党の議員は、その結果の通りに国会で投票する。

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これは、直接民主制のようにも見えるが、別物だと思う。
この政党は、政権を取ろうとは思っていないからだ。
あくまでキャスティングボートを握ることを目標にしているのだ。
与党連合も野党連合も過半数割れし、この政党がキャスティングボートを握った状態こそが、この政党の目指すところだ。

「愚かな民衆が直接法案の是非を決めると誤った判断をしてしまう。だから、賢い判断のできるエリートに判断を委託する間接民主制の方が、直接民主制よりも優れている」という主張にも、たしかに一理はある。しかしながら、間接民主制にも弊害はある。直接民主制と間接民主制のいいとこ取りをしたような中間的な落とし所を模索してみる価値はないだろうか。現在の間接民主制の弊害を一部なりとも緩和するための装置の一つとして、支持政党なし党のようなコンセプトの党が機能しうる可能性はないだろうか。

もちろん、この政党名は卑怯だし、この政党の代表はいかにも胡散臭く信用ならない人物だし、公約がまともに実行されるかどうかはなはだ怪しいし、実際にはこの政党のビジョンが実現する可能性は低いだろうが、それでも、他の政党に入れるよりはマシだと感じる。

私はウヨクとサヨクとバカとネゴトとオダイモクが大嫌いなので、自民、公明、民進、共産、どの政党のホームページを読んでも、心底うんざりする。

もちろん「支持政党なし」のホームページも突っ込みどころ満載だが、他のどうしょうもないクソ政党どもに比べると、ウンザリ度はいくぶんマシなのだ。

http://xn--68jubz91pp0oypc1c.com/

もちろん、この政党自体が上手くいくとは思っていないが、目指す方向性自体は、これはこれでアリかと思う。
この政党がそれなりの得票数を得ることで、他のもっとまともな人達が、こういうニーズもあることを認識し、いつの日か、同じようなコンセプトで、もっとまともな政党を作ってくれる可能性に賭けたい。

そういう未来への布石として、私は今回、この政党に一票を入れる。

 

人生は運よりも、運の運用方法に大きく左右される

高所得者が「オレは運が良かっただけ」と言うのはポジショントークであることが多いので、鵜呑みにしない方がいい。
彼らは、ある意味、イカサマ賭博をやっている。
このイカサマの正体を暴いてみる。

冷静に分析すると、私の知り合いの高所得者たちは、以下の様な特徴が多い。

・人よりも多くのことを試す。
・上手く行かなかった時に損切りするのが素早い。
・「たまたま」上手く行ったら、その幸運を全力の全力で最大限利用して、スキル、実績、人脈、資産を得る。
・一度スキル、実績、人脈、資産を得たら、それらを最大限に利用して、さらなるスキルと実績と人脈と資産を作り、それらが雪だるま式に増えていく。
・運任せの大博打はしない。確実性の高い勝算のあるときだけ大きく賭ける。
・人よりも多くの不運を想定し、不運を事前に回避するための手を人よりも念入りに打っている。
・不運に見舞われたときのダメージを最小限にするための保険やバッファ(貯金、人脈)の確保を、人よりも念入りにやっている。

ちょっとまってくれ。「よかった」のはほんとに「運」なのか?

だって、あんたが幸運に遭遇したのは、その幸運に遭遇するための行動を人より多くやっていたからじゃん。
あんたと同じ幸運に恵まれながら、その幸運を活かせなかった人の方が圧倒的に多いじゃん。
あんたが不運に見舞われなかったのは、事前に不運の回避策を打ちまくっていたからじゃん。
あんたが不運に見舞われても最小限のダメージで済んだのは、あんたがダメージを最小化するための貯金や人脈を事前に用意しまくっていたからじゃん。

サイコロを振り続けると、それぞれの目が出る割合が1/6に収束していくように、幸運と不運に遭遇する確率も、中長期的に見たら、人によってそれほど大きな違いはなくなっていく。

なのに、なんで、彼らだけサイコロ賭博に勝ち続けるのか?
それは、以下のようなイカサマをやってるからだ。

・あらかじめ悪い目が出にくいように、自分のサイコロに細工しておく。(リスク回避)
・悪い目が出た時の支払額が自分だけ少なくなるルールにしておく。(保険)
・いい目が出てから、後出しジャンケンで掛け金を何倍にもする。(幸運に遭遇した時に全力の全力を出す)
・悪い目が出てから、後出しジャンケンで掛け金を減らす。(上手く行かなければ、素早く損切りする)
・サイコロをたくさん振る。(人よりも多くを試す)
・掛け金を雪だるま式に増やしていく。


一方、「あいつらは運がよかっただけ、オレは運が悪かっただけ」と言う人の多くは、サイコロにも支払いルールにもろくに細工せずにサイコロ賭博をやっている。

いや、ちょっとまってくれ。
どう見ても、あんたが負けたのは、「サイコロの目がたまたま悪かった」からじゃないだろ。
あんたは、負けるべくして負けたんだよ。
そこに気づけ。
そこに気が付かないと、いつまでたっても負け続けの人生だぜ。

これは、単に所得の大小に限った話じゃない。
人間の才能も運も正規分布する。つまり大多数の人間は、才能も、幸運と不運の総量も、平均付近であり、大差はないということだ。
にもかかわらず、結果は正規分布というよりべき分布の要素が強くなる。つまり、大差がつく。「運の利回り」の差が複利で効いてくるから、差は指数関数的に開いていく。
もちろん、親の所得格差もその大きな原因の一つではあるだろうが、そればかりに注目しすぎて、肝心なことを見落としてないだろうか。
見落としているのは、この「大差」の大きな原因の一つが、「運」というより、「運との向き合い方」であり、「運の利用戦略」であり、「運の利用効率」であり、「運の利回り」だということだ。

もちろん、成功者たちが「運よりも、運の利用戦略が人生を大きく左右する」ということを知っていたということ自体が決定的な幸運であり、その幸運に恵まれた人間だけが成功した、という意味で、全ては「運だけ」で説明できる。

そして、あなたは今、その「決定的な幸運」に遭遇した。
この幸運を最大限活かしきれるかどうかは、あなた次第だ。

 

経営者に正当な賃金を支払わせたいなら、

正当な賃金を支払う会社に転職しましょう。

正当な賃金を支払う会社がどこにあるのかって?

それは、正当な賃金を受け取っている労働者が知っています。
インターネットで聞けばいいじゃないですか。

正当な賃金を支払う会社に転職しようとしたけど、面接で落とされた?

たまたま相性が悪かったんです。どんどん次を探しましょう。

正当な賃金を支払う会社に応募しても、自分は採用される気がしない?

気のせいである可能性がけっこうあります。
まずは、20社ぐらい応募してみましょう。
話はそれからです。

冷静に考えて、正当な賃金を支払う会社が自分を雇うとは思えない?
...あなたの言う「正当な賃金」の定義はなんでしょうか?

多くの経営者は、
「500万円払うだけの価値がある仕事」をしてくれる労働者に500万円払うのが「正当な賃金」の支払いだと考えています。

もし、あなたの言う「正当な賃金」の定義が、
「自分が人間らしい生活を営むために必要な賃金」というものであるなら、
会社側との話はいつまでも平行線で、交渉はまとまりません。

その場合、あなたが交渉すべき相手は、会社ではなく、社会であり国家でしょう。
不当に低いのは、賃金ではなく、生活費でしょう。
足りない分は、会社が支払うべきものではなく、負の所得税などの
福祉で支払われるべきものなのではないでしょうか。

もしくは、法律や行政による最低賃金の引き上げで対処するべきものでしょう。

経営者にかぎらず、多くの人間は、「割に合う」取引にしか応じません。
あなたを「正当な賃金」で雇うことが割に合うと考える経営者がいないなら、
あなたに転職先が見つからないことは不思議ではありません。

いくら転職活動をしても「正当な賃金」を支払う会社が見つからない場合、
経営者を非難しても問題は解決されません。
それは本質的には、経営者ではなく、行政や法律の問題なのですから。

面接では「能力が高くないと言えないこと」を言って欲しいだけなんですよ

面接で、その人が過去にやった仕事の内容を聞くと、「単なる仕事の思い出話」とか「自分語り」を始める人が多いんですが、そんなことを聞きたいわけじゃないんです。

 

面接の目的は、能力チェックと人柄チェックです。
そして、能力チェックの過程で人柄はわかっちゃうもんなので、わざわざ人柄チェックのための質問をすることはないです。

 

また、「私は能力が高いです」という「自己申告」も聞きたくないです。
自己申告をいくら喋っても、それは能力があることの「証明」にはなってないです。

 

面接の時に聞きたいのは、「能力が高くないと言えないこと」です。

それを、それだけを喋ってください。

 

能力の高さが明らかになるように喋ってくれるのなら、必ずしも仕事の話じゃなくてもいいことも多いです。
家事の話でも、料理の話でも、趣味の話でも、自分の好きなゲームの話でも、面白かったアニメのことでも、学生時代のサークル活動の話でも、なんでもいいです。

 

なぜ、それをやったのか? なぜ、その方法でやったのか? 他にどんな方法があり、どのような比較分析を行って、なぜその方法を選択したのか? そのために、どれだけ徹底して緻密に調査し、分析し、とことん考えぬいて、最良の意思決定を行ったのか? そのプロセスを詳細に語って欲しいです。

そしたら、こちらは徹底的にその調査、分析、思考、意思決定の細部をとことん問い詰めます。それにとことん答え抜いてください。

 

そうすることによって、はじめて、こちらは、あなたの能力の高さが把握できます。
なぜなら、このプロセスを踏めば、いくら無能な人間が有能なふりをしても、まず途中で化けの皮が剥がれるからです。

 

もちろん、毎回、面接の一番最初に、「○○と××の能力がどれくらいか見させていただきたいので、よろしくお願いいたします。」と言ってから面接を始めていますよ。

 

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未来の転職が、過去にさかのぼって現在の自分を有能にする

「iPadPro × hulu × 布団」がダメ人間製造機すぎる件

布団の中でiPadProでhuluでアニメを見ていると、快適すぎて、ずっと布団から出ないまま一日が過ぎてしまう。

私はhuluを誤解していた。見くびっていた。

第一に、huluは画質が悪いと思っていた。huluはネットの動画配信サイトだから、画質も音も、DVDよりもずっと粗悪だと思っていた。
見てビビった。
画質も音も、DVDとたいして変わらなかった。一部粗悪な画質のコンテンツもあるが、DVD並のクオリティのコンテンツがたくさんあった。

第二に、日本のアニメはないと思っていた。huluは外国のドラマを配信するVODサイトだと思っていたからだ。
しかし、しっかり日本のアニメのコーナーがあった。しかも、けっこう充実している。

第三に、huluのSVODという課金方式は理不尽だと思っていた。利用しようがしまいが、毎月一定金額を取られるサブスクライブ型のVODというのは、割にあわないと思っていた。
ペイ・パー・ビューのVODと比較してみて、SVODの心理的意味に驚いた。
ペイ・パー・ビューだと、一つの動画を購入すると48~72時間以内にそれを見ないといけなくなる。このため、途中まで見てから気が変わって、「残りは来週見よう」ということができない。一度購入したら、気が乗らなくても、やらなければならない作業があっても、最後まで見ないといけないような、いやな気分になる。
SVODだと、これがない。
さらに、SVODだと、「試しに途中まで見て、つまらなかったら、残りは見ない」ということができる。テレビをザッピングするように、何千もの動画コンテンツをザッピングできる。

私は、iPadProも、見くびっていた。

第一に、布団に横になって長時間iPadProを見ていると、手が痛くなってしまうだろうと思っていた。
予想に反して、そうはならなかった。
私は、iPad4を何年も愛用していたが、iPad4は、長時間布団の中で動画を見ていると、手が痛くなる。iPad4よりも60g重たいiPadProは、さらにもっと手が辛くなるだろうと思っていた。
しかし、布団の上で横向きに寝転んで見る場合、iPadProは筐体が巨大なので、筐体の一方の端を布団が支える形にしても、画面の傾きがそんなに問題にならないことが分かった。しかも、筐体のエッジの部分が丸くなっているため、iPad4のように手に食い込まず、長時間手のひらに載せていてもさほど痛くならない。

第二に、映画もアニメもドラマも、iPadProの12.9インチ画面で見るより、46インチのテレビ画面で見たほうが、ずっと面白いだろうと思っていた。
しかし、30cmの距離で見るiPadProの12.9インチ画面がもたらす没入感は、2メートルの距離で見る46インチ画面を凌駕していた。

第三に、映画もアニメも、重低音が腹に響くウーファー付きのホームシアターで体験してこそ、楽しめると思っていた。iPad Proのしょぼい音響では楽しめないと思っていた。
たしかに、音響ではホームシアターにはかなわない。しかし、ホームシアターはその大音量のゆえに、同居人に迷惑にならない時間帯にしか見れないという制約があるのに比べ、iPadProはどんな時間帯でも見れる。それに加え、iPadProの音響は映画やアニメを楽しめないというほど悪くはない。

第四に、「起きてすぐ、布団から出ずにコンテンツを見始められる」というのは、まるで超一流のUI/UXデザイナーによって設計されたWebサービスのように、恐ろしくコンバージョンレートが高い。テレビで動画を見る場合、まず布団を畳まなければいけないが、布団を畳んでいるうちに、家事をしようとか、勉強をしようとか、運動をしようとか、仕事をしようとか、いろいろ考え始めて、結局、映画もアニメも見ずに、充実した休日を過ごしてしまうのだ。非常にドロップ率が高くなる。

私は、布団も、見くびっていた。

私は、ソファーに座って、テレビ画面でコンテンツを見るのが、いちばん快適な動画コンテンツの視聴環境だと思っていた。
しかし、動画コンテンツの視聴環境としては、ソファーよりも布団の方が優れているということを思い知った。
いままで、これに気が付かなかったのは、iPadProとhuluがなかったせいだった。
ある意味、iPadProとhuluが、「動画コンテンツの視聴環境としての布団」という、布団のユースケースの価値を飛躍的に高めたのだ。これは、イノベーションだ。寝具業界は、この新しい布団の利用方法に着目すべきではないだろうか。iPadProでhuluを見ることを想定してベッドを設計すべき時代なのかもしれない。

「iPadPro×hulu×布団」は、一つの革命であり、勃興する新時代のライフスタイルである。
ただ、たいていのイノベーションはGDPを押し上げるものだが、このイノベーションは、GDPを押し下げてしまうような気がしてならない。
しかし私は、この2日間の「iPadPro×hulu×布団」ざんまいのせいか、とても幸せな気分が続いており、GDPがどうなろうと気にならなくなってきている。。。