ふろむだの日記

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誰でも簡単に「深く考える」ことができるようになるシンプルな方法

「深く考える方法」を説明するために、まず、浅く考えてみる。

 

なぜ「浅く考える」必要があるかというと、
女との比較なしに「男とは何か?」を考えるのが難しいように、
光との比較なしに「影とは何か?」を考えるのが難しいように、
「浅く考える」との比較なしに「深く考える」を考えるのが難しいからだ。

 
「浅く考える」というのは、
「脊髄反射的に考える」ということだ。
慎重さのかけらもなく、うかつに、
無意識的、かつ、自動的に、そう考えてしまう、ということだ。


では、さっそく、「浅く考える」をやってみよう。

例題として、この深津貴之さんの「深く考える訓練、その2」という記事で使われていた、以下の問いを拝借する。

次のボーナスで「新しいテーブルを買う」か「家族旅行に行く」か?

  

私の場合、浅く考えると、『次のボーナスで「新しいテーブルを買う」か「家族旅行に行く」か?』という問いが、はたして答えるに値する問いなのか?と反射的に考えてしまう。

そんなことより、もっと優先度の高い「問い」があるんじゃないだろうか?
たとえば、「このまま今の会社にいてもいいのか?」とか。

 

なぜ、このように、脊髄反射的に「問い」の「妥当性」を考えてしまうのかというと、「問い」が妥当でない場合、その「答え」をいくら考えたところで、時間の無駄だからだ。

 

で、「やっぱ、転職した方がいい」とか「起業した方がいい」となったら、
どんなリスクがあるかわからないから、そのリスクに備えて、
「ボーナスは使わずに、貯金しておいた方がいい」
という結論になるかもしれない。


また、前提の妥当性についても、反射的に考えてしまう。
そもそも、この問いは、「ボーナスを使う」という前提になっているけど、
別に、ボーナスは使わなくてもいいのではないだろうか?
って無意識的に考えてしまう。

なぜかというと、前提が間違っていたら、考えても無駄だからだ。


それと、選択肢が与えられた場合、その選択肢の妥当性についても、反射的に考える。
「新しいテーブルを買う」か「家族旅行に行く」かという選択肢は、はたして妥当か?
そんなものより、巨大な冷蔵庫を買った方がいいのではないだろうか?
なぜなら、いまの冷蔵庫では小さすぎて、料理の作り置きが十分にできないからだ。
とか。

なぜかというと、選択肢が間違っていたら、正しい選択肢なんて選べないからだ。


それと、自分の「認知バイアス」を反射的に疑う。
深津さんの例だと、
「新しいテーブル」を買う場合のメリット・デメリットが、以下のように挙げられていた。
メリット:「ずっと使える」「後で売れる」
デメリット:「古いテーブルでも足りる」「ペットが傷をつける」「中古価格が安い」

「自分がそれらのメリット・デメリットを思い浮かべたのは、なぜか?」と考える。
人間には、「最近起こったことが、思い浮かびやすくなる」という認知バイアスがある。
また、思い浮かびやすいことを過大評価してしまうという認知バイアスもある。
最近、ペットが家具を傷つけたので、そのことを、自分が過大評価してしまっているじゃないだろうか?と疑う。過大評価しているなら、そのバイアスを補正する必要がある。

また、ハロー効果について考える。
なぜなら、ハロー効果は、人間についてだけ発生するわけじゃないからだ。
複数の特徴を備えるものごとを選択するとき、必ずついてまわる。
「新しいテーブルを買う」や「家族旅行」という選択肢の、どれか一つの特徴に引っ張られて、そのすべての属性を過大評価もしくは、過小評価してしまうのが、ハロー効果の本質だ。
その認知バイアスを見つけ出して、除去して考えるようにする。

ほかにもいろんな認知バイアスがあるので、それらも取り除くようにする。

もちろん、認知バイアスは何十種類もあるけど、「問い」の性質によって、気を付けなければいけない認知バイアスはだいたい決まっているし、ありがちな認知バイアスは、ほとんど無意識的に避けるように、普段から自分を訓練してあるので、それらを避けるコストは、実際の所、そんなにたいしたことはない。

また、メリット・デメリットだけでは語れない価値について、反射的に考える。

たとえ「家族旅行」の方が総幸福量が多かったとして、それがなんだと言うのだ?
人生は、総幸福量を最大化するゲームなんかじゃない。
人生とは、そんな矮小なものではない。
だとすると、いったい、何を基準に、自分はその選択をすべきなのか?
とか考える。


これが、「浅い思考」だ。
これは、長い人生の間に身についた思考のクセみたいなもので、ドアの前に立ったら、反射的にドアノブを回してしまうのと同じぐらい自動的なプロセスだ。
何事につけ、何かの判断をするとき、だいたいこのくらいは、ほぼ瞬時に考える。
こうやって文章にすると長いけど、実際には、ほんの数十秒、長くても、せいぜい数分のプロセスだ。

人によってバリエーションはあるが、誰でも、こういう、自分のオリジナルの、「浅い思考」があるのだと思う。


では、「深い思考」とはなにか?

それは、自分の「浅い思考」のプロセス自体を精緻に観察し、分析し、妥当性を懐疑し、検証し、より優れた思考プロセスへと改良しながら、よりよい思考をするということだ。

 

浅い思考は、本当の思考じゃない。
本当の意味で「思考する」とは、「自分の普段の思考のクセ」に逆らって思考するということだ。
いつもの自分の思考パターンを漫然となぞることは、「考える」とは言わない
がちがちに固まったプログラムに、ただ漫然とデータを流しているだけでは、「考えている」ことにはならない。

「考える」とは、今まで思考したことのないような思考方法で思考するということだ。
脳の新しい回路に通電し、新しい思考方法を開拓し、それを血肉にしていくということだ。
思考を司るプログラム自体を書き換えながら、思考するということだ。
そうすることで、人間の思考能力は高まり、精神が発達し、人生が豊かになっていく。


これこそが、「深く考える」ということだ。

だから、「深く考えるコツ」というのは、極めてシンプルだ。

第一に、自分の「浅い思考」を精緻に観察するということ。
第二に、それを分析・検証・改良しながら思考するということ。

これだけだ。

もちろん、自分の浅い思考を分析・検証・改良するためには、思考方法についての知識が必要だ。

だから、普段から、思考を改良するための知識が書かれた本をじっくり読み込んでおく必要がある。思考法、認知心理学、哲学などの本や記事だ。

深津さんの「深く考える訓練、その1」 「深く考える訓練、その2」は、そういう知識を提供してくれる、ありがたい記事なのだと思う。