「結論から先に言え」って言われて、
結論を先に言ったら、否定されたことってありませんか?
しかも、同じことを、手順を踏んで伝えたら、
受け入れられた。
同じことを別の状況で言ったら、
受け入れられた。
同じことを、根回しして、別の人に言わせたら、
受け入れられた。
言葉で言ったら理解されなかったけど、
その人自身がそれを体験したら、
理解してもらえた。
言葉で言っても理解されなかったけど、
自分自身の行動で示したら、
理解してもらえた。
物語を創ると、
自分の思い通りの状況で、
思い通りの人に、
思い通りの手順で、
言いたいことを言わせることができる。
行動で示すこともできる。
体験させることもできる。
だから、言葉では伝わらないことでも、
物語によって伝えることができる。
ただし、それは、その物語を読んでもらえたら、の話。
物語を読んでもらうためには、
読者がその物語に引き込まれ、
最後まで夢中で読んでしまう仕掛けを
重層的に編みこむ必要がある。
それは、ベタなテクニック論の集大成。
もちろん、テクニックだけではダメ。
魂がこもってないと、話にならない。
迫力、凄み、色気が陳腐だと、
どうにもならない。
まあ、そこは、作者本人の生き様が出る。
だから、まず、
「心の底から伝えたいことがあるんだけど、言葉では伝わらないこと」
がある人が、物語を作ろう。
そして、自分の生き様を、繕わずに、
物語に刻みつけよう。
何より、語るに足る、生き方をしよう。
それがないと、語るに値する物語は生まれない。