人工知能は、言語で定義された抽象概念から、個別具体的な行動を導き出すことができません。
だから人工知能は、以下のような仕事をすることができません。
・方針を言語で定義すること
・言語で定義された方針どおりに部下に仕事をさせること
・言語で定義された方針どおりに仕事をすること
たとえば、あなたがホテル会社を創ったとします。
もちろん、ただ漫然と経営しているだけでは、利益が出ません。
そこで、以下のような方針で会社を経営することにしました。
We are Ladies and Gentlemen serving Ladies and Gentlemen.
(我々は、紳士淑女にサービスする紳士淑女である。)
「紳士淑女である社員が、紳士淑女のターゲット顧客にサービスする」というコンセプトのホテル、というわけです。
これにより、人事部は、紳士淑女の使うようなサイトに人材募集広告を出しました。
広報部は、会社のウェブサイトを、紳士淑女にふさわしいテイストでデザインしました。
営業部は、紳士淑女に向けたテレビコマーシャルを作って放送しました。
購買部は、紳士淑女にふさわしい備品を購入しました。
紳士淑女向けのホテルを探していた顧客は、このホテルに泊まりました。
なぜ方針が必要かというと、「顧客を選ぶと、顧客からも選ばれる」という法則があるからです。
とにかく安く済ませたい顧客は安さを売りにしたホテルに泊まりたがるでしょうし、利便性を重視する顧客はとにかく便利なホテルに泊まりたがるでしょうし、上品で落ち着いた雰囲気のホテルに泊まりたい顧客は、紳士淑女向けのホテルに泊まりたがるでしょう。
しかしどのような方針で運営されているのか分からないホテルは、どんな顧客からもなかなか選んでもらえないのです。
そして、ひとたび会社の方針が定まったら、その会社のあらゆる部署が、その方針を実現するためにベクトルを合わせて仕事をする必要があります。
そうすることによってのみ、顧客にとって最高のサービスができあがるからです。
もちろん、「言語で定義された抽象概念」は、「方針」だけではありません。
ビジョン、ミッション、クレド、戦略、コンセプト、企画は、すべて「言語で定義された抽象概念」です。
したがって、人工知能は、それらに基づいて行わなければならない意思決定は、できないのです。
たしかに、「言語で定義された抽象概念」を「教師データ」の形で定義することで 人工知能に個別具体的な仕事をさせることができるケースもあります。
しかし経営でも、営業でも、広報でも、デザインでも、開発でも、運用でも、人事でも、単純作業でない仕事のほとんどは、フレームが広すぎて教師データをまともに定義することができません。
また教師データを定義することができる場合でも、単純作業以外は、教師データを作成・保守するコストが高すぎて、採算が合いません。
したがって、いかにして狭いフレーム内に収まるようにタスクを切り出し、採算の合うコストで教師データを作成できるかで、どれだけ多くのタスクを人工知能にやらせ、生産性を上げられるかが決まってきます。
しかしそのようなフレーム切りも、タスクの切り出し作業も、教師データの作成・保守も、人工知能システム全体の設計・開発・運用も、すべて、「言語で定義された抽象概念」を理解している人間でなければできない仕事なのです。
もちろん、「言語で定義された抽象概念」自体は、人工知能でも作成できるでしょう。また、「個別具体的な仕事」も、人工知能はこなすことができます。しかし、その2つを繋ぐ部分が、人工知能にはできないのです。すなわち、「全社員の最適な行動を導き出せるような、言語で定義された抽象概念」は作れないし、「言語で定義された抽象概念に沿った行動」もできないのです。「人間にできて、人工知能にできないこと」のキモは、「抽象」と「具象」の「接続部分」なのです。
また、人工知能は、ほとんどのシステム、プロダクト、サービスの仕様を定義することができません。
仕様を定義するには、ユーザー、経営者、プロマネ、エンジニア、営業、広報などの全てのステークホルダーがwinになるような落とし所を見つけなければなりません。
しかしこの作業はフレームが広すぎて、使いものになる教師データを作ることができません。
多くのステークホルダーの利害調整が必要となるような仕様定義のような作業は、人工知能では全く歯が立たないのです。
またほとんどのプロダクトやサービスの開発において、人工知能はデバッグ作業をすることもできません。「何がバグで何がバグでないか」の判断をするために必要な教師データを作ろうとしても、ほとんどの開発・保守作業において、フレームが広すぎて、現実的ではないからです。
もちろん仕事の中には、人工知能にやらせることができる仕事もたくさん混じっています。
しかし人工知能に仕事をやらせるには現在の業務を分解・整理し、人工知能でもできるような形で切り出してやる必要があります。そしてその作業自体は、人工知能にできない仕事の典型です。なぜなら、それをやるには、言語で定義された抽象概念を個別具体的な仕事に落とし込む作業が大量に発生するからです。
結局、次のような作業に秀でた人間は、人工知能に職を奪われる心配はまずありません。
(1)方針、ビジョン、ミッション、クレド、戦略、コンセプト、企画などの、「言語で定義された抽象概念」を策定・チューニングし続ける作業。
(2) 「言語で定義された抽象概念」どおりに、部下や同僚に仕事をさせるマネージメント業務。
(3) 「言語で定義された抽象概念」どおりに、具体的な作業をすること。
(4) 「言語で定義された抽象概念」どおりに、仕様を定義すること。
(5)デバッグやトラブルシューティング作業
(6)業務を分解・整理してAIにやらせられる状態にする作業
もちろん、これは、あと30年ぐらいは、という話です。
それより未来になると、だんだん前提が怪しくなってきます。
いつかは、「言語で定義された抽象概念」を直接理解して具体的な行動をするような、本物のAIができて、すべての前提がひっくり返るときがやってくるのです。
ただ、現時点では、そのような「本物のAI」を開発する目処は、まったく立っていません。
いったい、どのような原理で、人間の脳は、「言語で定義された抽象概念」を「具体的な行動」に変換しているのか、その原理が解き明かされていないし、それをコンピュータプログラムとして実装する方法も、まるで分かっていないからです。
おそらく、ほとんどの人は、「本物のAI」の出現に備えて何かの準備をしても、あまり意味がないかと思います。自分が現役のうちにそれが起きる可能性が低すぎるからです。
我々の職を奪うのは、あくまで、「言語で定義された抽象概念」から直接「具体的な行動」を導けないような人工知能なのです。
そして、重要なのは、そのような限定的な能力しかもたない人工知能でもできる仕事は膨大にあり、それによって、膨大な数の仕事が奪われる、ということです。
それに備えて、我々は、「言語で定義された抽象概念」と「具体的な行動」を「繋ぐ部分」の能力を、十分に鍛えておかなければならないのです。