ふろむだ@分裂勘違い君劇場

分裂勘違い君劇場( https://www.furomuda.com/ )の別館です。

マーケティングの人材市場からわかる、これから「台頭する人」「落ちぶれる人」の4つの条件



 



マーケティングの専門家として第一線で活躍する山口義宏氏と、ふろむだがチャット対談を行った。

山口氏は、数々の大手企業のマーケティング&ブランディング案件を手がける㈱インサイトフォースの代表取締役社長である。

対談をオーガナイズしてくださったのは、編集者の横田大樹さん。Amazon1位(マーケティング)となった山口さんのヒット作 『マーケティングの仕事と年収のリアル』 は横田さんチームが手がけたものだし、11万部を超えるベストセラーとなったふろむだの 『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』(錯覚資産本) も横田さんの担当だ。

この記事は、その対談の要点を、ふろむだが記事の形でまとめたものである。

 

この対談で話し合われた内容

ふろむだは、複数の企業を起業し、そのうち1社は上場している。マーケを専業でやってきたわけではないが、マーケの仕事もかなりやってきた。
なので、次の点に興味がある。

◆今後、どのようなマーケ人材が活躍し、どのようなマーケ人材が落ちぶれていくか?
◆その明暗を分けるものが何か?

そこで、自分の考えをマーケの専門家の山口さんにぶつけて、どう思うか聞いてみるとともに、マーケ人材市場が今後どうなっていくかについて、お話を伺った。
ただ、結果として、対談の7割は、マーケ職以外の人にとってもクリティカルに重要な問題について話し合われたため、タイトルをマーケ職以外の人も対象とするようなものにした。記事内容も、マーケ職以外の人が読んでも面白く読めるように気を使ってまとめたつもりである。

 

「台頭する人」「落ちぶれる人」の4つの条件

長い対談の末に、マーケ人材市場の未来について2人の見解が一致したのが、次の4点だ。

(1)「原因特定解像度×サイクル長」の変化でマーケ人材の「知の高速道路」ができ、マーケ人材市場に相転移が起きる。

(2)クリエイティブ・マーケと定量マーケの両方の能力を兼ね備え、それらを統合してマーケティング業務を行うマーケ人材が台頭する。

(3)マーケティング業務だけの部分最適を行うのではなく、経営者のように、会社全体を把握し、全体最適のマーケティングを行う人材が台頭する。

(4)日本市場の縮小とともに、日本市場に特化したハイコンテクスト・マーケよりも、グローバルに展開するためのローコンテキスト・マーケの需要が高まる。

以下、これらについて解説する。

 

「知の高速道路」によって起きる人材市場の相転移

この章では、

(1)「原因特定解像度×サイクル長」の変化でマーケ人材の「知の高速道路」ができ、マーケ人材市場に相転移が起きる。

について解説する。

たとえば、将棋の藤井さんがなぜ台頭してきたのかと言うと、「知の高速道路」に乗ったからだ、という議論がある。

 

将棋というのは、どれだけ優れた対戦相手と、どれだけ多くの対戦を行ったかで、成長速度が大きく違ってくる。
昔は、いい対戦相手と対戦させてもらえる機会はなかなか得られなかった。
ところが、藤井さんの時代になると、インターネットのおかげで、強力な対戦相手と、いつでも、簡単に、がんがんネット対戦できるようになった。
これにより、藤井さんは急速に成長し、ネット以前の非効率な学習環境で育った棋士たちをごぼう抜きにした。

これと同じことが、マーケ人材市場ですでに起き始めているし、今後は、それがますます加速していくだろう、というのが、山口さんとふろむだで、意見の一致を見たところだ。

 

「原因特定解像度」とは

原因特定解像度とは、「マーケ施策の成功・失敗の原因を、どれだけはっきり特定できるか?」ということ。

たとえば、「ふろむだの錯覚資産本が、それなりに多くの方々に買っていただけた原因はなんだろうか?」と、考えてみる。

もちろん、買ってくださった方々のおかげに決まっているのだが、ここではマーケティングの視点から、それを考えてみる。

・たくさんのインフルエンサーの方がこの本を称賛してくださったから?
・テレビ番組で林修先生が力説してくださったから?
・書店さんが店頭にこの本をドバーッと平積みしてくださったから?
・電車に大きな広告を掲載したから?
・新聞に広告を出したから?
・数百万人に読まれたブログの著者が書いたから?
・タイトルがよかったから?
・表紙のイラストが良かったから?
・本の帯が良かったから?
・一流のブックデザイナーの方が担当したから?
・編集者の方のレビューが優れていたから?
・他のレビューアーの方々のレビューが優れていたから?
・ターゲット顧客の選択が正しかったから?
・本のコンセプトが良かったから?
・本の構成が優れていたから?
・内容が実用的だったから?
・文章が面白かったから?
・図解が良かったから?
・挿絵イラストが良かったから?
・「錯覚資産」という概念を作り出したから?
・科学研究の成果をわかりやすく紹介したから?
・最初の5章を無料でWebで公開したから?

これだけ多くの要因が絡むと、どの要因が、どれだけ販売部数に寄与したのか、さっぱりわからなくなってしまう。

こういう状態を「原因特定解像度が低い」と呼んでいる。

また、私は錯覚資産本を書くのに1年近くかかったし、山口さんは『マーケティングの仕事と年収のリアル』を書くのに1年以上かかっている。
つまり、1回の「試行 → 成功・失敗が判明 → その原因が判明」サイクルがかなり長い。

1サイクルが長く、原因特定解像度が低いと、単位時間当たりの学習量が少なく、スキル蓄積のペースが遅く、成長速度が遅くなってしまう。

式にすると、こんな感じ:

成長速度 = 単位時間当たりの学習量 = 原因特定解像度の高さ × サイクルの短さ



これに比べると、ITエンジニアの場合、原因特定解像度は、すばらしく高いことが多い。
間違ったプログラムを書いたら、期待通りに動かない。その原因は、多くの場合、かなりはっきり特定できる。
プログラムを改良したら、劇的にパフォーマンスがアップしたとする。その場合も、パフォーマンスが改善した原因は、かなり明確に特定できる。

しかも、プログラムはテスト環境で動かせるので、いくらでも試しに動かしてみることができる。このため、1サイクルが非常に短い。

これがマーケ施策だと、多くの場合、「テスト環境」を非常に作りにくい。本を売る「テスト環境」を作って、何冊売れるか計測してみることは、できなくはないが、手間とコストを考えると、現実的ではないことが多い。

ネットのインフルエンサーも、原因特定解像度が高い。
嫌がられるツイートをすると、みるみるうちにフォロワーが減っていくし、好まれるツイートをすると、みるみるうちにフォロワーが増えていく。
ツイートは140文字しかないから、何が原因でフォロワーがそれを不快に思ったのか or それを好んだのか。10万字の本なんかとは、比べ物にならないほど高い解像度で、原因が特定できる。

もちろん、遊びでSNSをやっている人は、フォロワー数が増えようが減ろうがどうでもいいことだろうが、フォロワー数がビジネスに影響するような人の場合、そうも言ってられない。

原因さえ特定できれば、どのようなツイートを避ければフォロワーを減らさずに済むかを学習できるし、どのようなツイートをすればフォロワーが増えるのかも学習できる。

しかも、1サイクルが非常に短い。短ければ数分、長くても数時間で、「試行 → 成功・失敗が判明 → その原因が判明」のサイクルが回る。試しにツイートをしてみて、「あ、失敗したな」と思ったら、すぐに削除して、悪影響を最小限に留めることもできるから、気軽に、いくらでも試行ができる。

マーケ人材の職場環境も、すでに一部では、そうなっている。

たとえば、スマホアプリやWebアプリの開発やプロモーションをする場合、2週間サイクルでA/Bテストをやっていたりする。A案、B案、C案で、どのUIが一番離脱率が低いか、どのプロモーション施策が一番拡散率が高いかがわかる。それぞれの案は、ほんの少しの違いしかない。このため、何が原因でB案が一番離脱率が低いのか、何が原因でC案がバズったのか、原因をかなり高い解像度で特定できるのだ。

このように、「低解像度×長サイクル」の環境は、未舗装の狭くて曲がりくねった道を進むようなもので、「高解像度×短サイクル」という高速道路に比べると、学習効率が非常に悪いのだ。

 

 

 

原因特定解像度が超重要なわけ

個々のマーケ施策の成功・失敗に一喜一憂するするマーケ人材をよく見かけるが、そんなものより、「成功・失敗の原因特定解像度」のほうが、はるかに重要だ。なぜなら、それは、中長期的な成功・失敗を決めるからだ。

失敗の原因が特定できなければ、次に、いったい何をやったら失敗を回避できるのかがわからない。
成功の原因が特定できなければ、次に、いったい何をやったら成功に結びつくのかがわからない。

原因特定解像度が低いと、いくら成功しても、失敗しても、それが血肉になっていかないのだ。

人間には、「運を実力と錯覚する認知バイアス」があるため、実際以上に、自分のマーケ施策によって成功・失敗が決まったと錯覚しているが、実際には、自分が思っているよりもはるかに運で決まっている(詳しくは、拙書 『錯覚資産本』を参照 のこと)。

運に一喜一憂してもしょうがない。
そんなものより、運に左右されにくい「中長期的な成功・失敗」を決定する要因に目を向けるほうがクレバーだ。

なぜ、「中長期的な成功・失敗」が運に左右されにくいのかと言うと、統計学で言うところの「大数の法則」が効いてくるからだ。

1回だけサイコロを振って1の目が出るのは運次第だ。
しかし、サイコロを振り続ければ、中長期的には、1が出る割合は、ほとんど運に左右されず、1/6に収束していく。
十分に試行回数が多ければ、運の要素はどんどん潰され、本来の実力(成功確率)によって決まる部分がどんどん大きくなっていく。

つまり、我々が集中するべきは「サイコロを振って1を出すゲーム」ではない。
「サイコロを削って、1の出る確率を、1/6 → 1/5 → 1/4 → 1/3 → 1/2と上げていくゲーム」なのだ。

台頭していくマーケ人材と落ちぶれていく人材では、そもそも、やってるゲームが異なるのだ。

ここで「サイコロのどこを削れば1の出る確率(=実力)が上がるのか?」という話になるのだが、それが「原因特定解像度」と「1サイクルの長さ」なのだ。

なぜなら、実力の伸びは「単位時間当たりの学習量」に依存するが、それは次の式で決まってくるからだ。

単位時間当たりの学習量 = 原因特定解像度の高さ × サイクルの短さ

 

 

原因の特定に「直感」は役に立たない

ここで、「いや、どの要因がどれくらい成功に寄与したかなんて、だいたい直感的にわかるだろう」と思う方もいらっしゃるだろう。

私も、そう思う。直感的には。

しかし、その直感は、さまざまな認知バイアスに汚染されているので、たいていアテにならない。

たとえば、人間には、自分が注意を向けている対象を過剰に重要だと思いこむという認知バイアスがある。

著者は、文章に注意が向く。したがって、文章を、実際以上に重要な成功・失敗要因だと思う。
同様に、編集者は、自分のレビュー、アドバイス、本の帯、自分がアサインしたイラストレーターやデザイナーの人選などなどが、実際以上に重要だったと思う。

イラストレーターは表紙絵や挿絵が、デザイナーはブックデザインが、実際以上に重要だと思う。

出版社の経営者は出版社の力が、宣伝部の方々はプロモーションが、テレビプロデューサーの方はそのTV番組でこの本を取り上げたことが、インフルエンサーの方々は、自分がネットで推したことが、実際以上に重要だったと思う。

さらに、人間の直感は、アベイラビリティ・バイアスという認知バイアスにも汚染されている。
たとえば、たまたまインフルエンサーの方がこの本をネットで激推ししたのを目撃した人は、そのことが「思い浮かびやすく」なる。人間は、思い浮かびやすい情報を過大評価して思考するという認知バイアス(アベイラビリティ・バイアス)があるので、その人は、インフルエンサーのおかげでふろむだの本が売れたのだと思う。

一方で、新宿紀伊国屋で、ふろむだ本がドバーッと並べられているのを見た人は、書店さんがふろむだ本を激推ししてくれたために、ふろむだ本が売れたのだと思う。

 

あるいは、「ふろむだが起業した会社が上場した」という事実を知った人は、ハロー効果という認知バイアスによって、ふろむだがなんかすごい奴だからすごい本になり、そのために売れたのだと思うかもしれない。

これ以外にも、直感は、さまざまな認知バイアスに汚染されている。
問題が複雑で、原因特定解像度が低ければ低いほど、思考の錯覚による直感の汚染はひどくなる( 詳しくは拙書『錯覚資産本』を参照のこと )。

そうした直感の汚染は、さまざまな「迷信」を作り出す。本当はあまり重要でない施策が、成功に欠かせない重要な施策だと思い込んでしまうのだ。

このため、多くのマーケ人材が経験によって得た「マーケティング知見」がただの迷信であることは、少しも珍しいことではない。

なぜそれが迷信だとわかるかというと、それが迷信だということを、暴く方法があるからだ。

山口さんとの対談から、ふろむだの発言を引用しよう。

かなりの自信をもって作った最強のアプリのUIが、それまでの使いにくいはずのUIと、離脱率が全然変わらなかったときの、衝撃たるや(笑)。
チーム全員で、ひっくり返りました。いままでの大議論と、インサイトの発見と、そのすごい説得力と、興奮はなんだったんだ、と。
(単に「使い慣れたUIの方が使いやすい効果」という要因を取り除くために、既存ユーザに対してではなく、新規流入ユーザだけをAとBに振り分けてあります)



ランダム化比較試験、俗に言うA/Bテストは、極めて強力な迷信破壊装置だ。

多くの場合、十分な経験を詰んだマーケターの「迷信」は、非常に強力な説得力を持つ。
たとえば、プロモーションのキャッチコピーやデザインなどに対して、「これ、ダサくないですか?」と経験豊富なマーケターに言うと、自信満満に「いや、ダサいくらいのほうが売れるんだよ」などと言われることがある。
マーケティング歴20年の人にそう言われてしまうと、ほとんどの人は、「マーケの専門家がそう言うなら、そうなんだろう」と思ってしまう。

しかし、実際にA/Bテストをして確かめてみると、ダサい案は、ダサくない案にボロ負けし、そのマーケターの信じていることが「迷信」であることが、白日のもとにさらされることがある。

実際には、ダサい案とダサくない案で、どっちが優れているかなど、ケースバイケースなので、一概には言えない。
にもかかわらず、なぜ、そのマーケターは、「ダサいくらいのほうが売れる」と信じるようになってしまったのだろうか?

原因特定解像度が低いと「ダサい」以外の原因がたくさんあっても、どれが重要な原因だかはっきりしない。
そういう状況で、たまたま「ダサさ」が目立つ特徴だったとすると、そのマーケターの注意は「ダサさ」という特徴に集中し、「注意を向けているものを重要だと思いこむ認知バイアス」によって、「ダサさ」が原因でそれが成功したのだと錯覚してしまうことがあるのだ。

あるいは、なんかのきっかけで「ダサさ」が思い浮かびやすくなって、アベイラビリティ・バイアスによって「ダサさ」が原因だと思ったかもしれないし、経歴の立派な人が「ダサいから売れたのだ」と言ったので、そのハロー効果によってそれを信じてしまったのかもしれない。

このようにして、「低い原因特定解像度」と「認知バイアス」が接触すると、悪魔的な化学反応を起こして、「迷信」が大繁殖するのだ。逆に、「高い原因特定解像度」は、認知バイアスを補正し、「迷信」の大虐殺を引き起こす。

原因特定解像度が高い企業と、低い企業が競争すると、多くの場合、高い企業が圧勝する。
たとえば、じゃらんや楽天トラベルなどのネットの旅行代理店が、主にリアル店舗で営業していた旅行代理店のシェアを食いまくったのは、マーケ施策の原因特定解像度の高さが重要な要因の1つだろう。

リアル店舗で紙のチラシを配っても、どのキャッチコピーやデザインのチラシが効いているのか、ろくに特定できない。紙媒体でA/Bテストをやろうとすると、コストがかかりすぎる上、1サイクルも長くなりすぎる。

こんな環境では、マーケターは、いくら経験を積んで、スキルを増やしたつもりでも、そのスキルのかなりの部分が、「迷信」になってしまう。

千と千尋の神隠しで、カオナシから、いくらたくさん金の粒をもらっても、それは結局、泥の粒でしかなかったことが、あとで判明することになる。

金の粒を貯めているつもりで、泥の粒を貯めているマーケターが、「高い原因特定解像度×短いサイクル」で本物の金を着実に貯めているマーケターにかなうわけがない。

そのため、じゃらんや楽天トラベルのような、「高い原因特定解像度×短いサイクル」でマーケティング施策をやっている会社がマーケットシェアを伸ばし、「高い原因特定解像度×短いサイクル」の職場環境がどんどん増えていく。

それに加え、ディープラーニングによる画像認識技術やIoTの発達で、計測可能な領域は、リアルにまで広がっていこうとしている。

コンビニのカメラの映像を処理することで、店内を訪れている客の性別や年令を識別し、どんな客がどんな曜日の、どんな時間帯の、どんな気温のときに、どんな商品を買うのか、あるいは買おうとしてやめたのかの情報がとれるようになる。

店内にデジタルサイネージを設置しておけば、それに出すプロモーション画像の効果をA/Bテストすることもできるし、中央からの指示で、A/Bテスト的に商品陳列の効果を確かめながら、最適な商品陳列方法を見出すこともできるようになるかもしれない。

一面に広がった氷原の中で、ところどころ相転移して水になったところが出来て、その水のエリアが、どんどん広がっていっている。
「高い原因特定解像度×短いサイクル」というマーケ人材育成環境(水)が、どんどん広がっているのだ。

※相転移とは、たとえば、氷が水になったり、水が水蒸気になること。

 

マーケットでこのような相転移が起きると、「低い原因特定解像度×長いサイクル」という氷の世界で育ったマーケ人材が長年蓄積してきた知識と経験は、そびえ立つクソの山であることが明らかにされてしまう。
そうなると、「低い原因特定解像度×長いサイクル」で育ったマーケ人材の市場価値は暴落する。

中年マーケターは、気力・体力では若いマーケターに劣ることが多いが、知識と経験では勝るため、これまでは、より高い地位や年収を享受してこれた。

しかし、相転移によって中年マーケターの知識・経験の多くがゼロリセットされてしまうと、中年マーケターは、知識・経験は若いマーケターと大差なく、気力・体力は劣るので、むしろ、人材価値は若いマーケターを下回るようになる。

そうなると、マーケター歴20年の中年マーケターの人材価値が、マーケター歴3年の若年人材に劣るというようなケースがどんどん出てきてもおかしくない。

 

水の世界と氷の世界

もう1つの重要な点は、水の世界=「高い原因特定解像度×短いサイクル」で育まれた知識とセンス自体は、氷の世界=「低い原因特定解像度×長いサイクル」の環境にも転用可能だということだ。

たとえば、私は10年以上前からブログをやっている。私は、記事を公開した直後から、読者の反応を見て、どんどん記事を書き換えていくことにしている。SNSの反応を眺めながら、「ああ、この書き方だと、こういう誤解をされてしまうんだな」「そこはただの例であって、論点じゃないのに、なんでそこにばかり反応する? この例はむしろ入れない方が、意図が伝わるな」「これを先に説明しないと、記事の面白さが伝わる前に、離脱しちゃっている感じだな」「あー、前置きが長すぎるんだな」「前提を書かずに、いきなり本論に入ったのがまずかったな」などと、分単位で記事を書き換えていくのだ。

これをやるのとやらないのでは、記事のとっつきやすさも、読みやすさも、全然違ったものになる。これを何度も繰り返しているうちに、「多くの人に読まれる文章を書くコツ」が、肌感覚でわかってくる。
「高い原因特定解像度×短いサイクル」という環境の典型だ。

また、仕事でも、スマホアプリUIやストアページのA/Bテストをかなり短いサイクルで回して、知識とセンスを磨くこともできた。
マーケティング上の仮説をもってカスタマーディベロップメント(ユーザインタビューを改良したもの)を何度も行い、自分の迷信を何度も破壊されることでも、知識とセンスが磨かれた。
これらも「高い原因特定解像度×短いサイクル」という学習経験を作り出している。

こうして、「高い原因特定解像度×短いサイクル」という水の中で鍛えられたマーケティングの知識&センスは、「本の執筆」という氷の世界に飛び込んだときに、極めて頼りになる羅針盤として機能した。

つまり、水の世界で効率よく身につけた実力は、氷の世界でも使えるということだ。

 

氷の世界で育ったマーケターは、逃げ場がなくなる

よく、有能なマーケターの特徴として、「ユーザのことがわかっている」「顧客の気持ちになってものが考えられる」「顧客視点でビジネスをを設計できる」などと言われる。
しかし、氷の世界で育ったマーケターの脳内のユーザ像は、認知バイアスが生み出した大量の迷信に大きく歪められた虚像であることが多い。

一方で、水の世界では、マーケターの脳内のユーザの虚像が、迷信破壊装置によってがんがんぶっ壊され続ける。どんなに認知バイアスに汚染されまくったマーケターでも、動かしがたい現実のデータに直面したら、迷信を削られて、削られて、削られまくるので、必然的に、脳内のユーザ像を覆っている分厚い迷信は減っていき、現実のユーザの形状にどんどん近づいていくことになる。

もちろん、「ユーザの気持ちになって考えられる」というのは、もともとのセンスや才能で決まってしまう部分がかなり大きい。しかし、それは、同じ環境にいる者同士を比較した場合に限られる。中長期的には、環境の違いが、非常に大きく効いてくる。氷の世界にいれば、そのセンスも才能も腐ってしまうし、水の世界にいれば、センスも才能も、後天的に、どんどん伸びていくのだ。

さらに、もう1つ見逃してはならないのは、「氷の世界に、水の世界の武器を持ち込むことが可能」という点だ。
たとえば私は、本を執筆する前、実は、その本の中で使うネタをあらかじめツイートして、ユーザの反応を見ていた。
認知バイアスに関するツイートを繰り返すうち、「単に認知バイアスの知識だけ説明しても、食いつきが悪いこと」、「現実の仕事や生活において認知バイアスがどのように作用するかをツイートすると食いつきがいいこと」「具体的にどのような切り口で語れば食いつきがいいのか」などを、それなりに高い解像度でつかみ、それを元に本を書いたのだ。

また、氷の世界で、氷を溶かしながら戦う企業もある。原因特定解像度が低い環境で、原因特定解像度を上げる工夫をすることで、競争力を高めて戦うような企業だ。

まとめると、次の3つの方法により、氷の世界で、成功しやすくなる。

(A)水の世界でセンスを磨き、氷の世界で戦う。
(B)氷の世界に、水の世界の武器を持ち込んで戦う。
(C)氷の世界で戦うとき、自分の陣地の部分だけ溶かして水にして戦う。

これが何を意味するのかというと、「氷の世界で育ったマーケターは、逃げ場がなくなる」ということだ。
氷の世界で育った中年マーケターが、水の世界に出ていくと、経験値がゼロリセットされてしまうので、ハードモードのクソゲーになる。
だからといって、氷の世界に閉じこもって定年まで逃げ切ろうとしても、水の世界で鍛えぬかれたツワモノどもが、水の世界の強力な武器を氷の世界に持ち込んでぶっ放し始めるので、氷の世界の戦いまでもがハードモードのクソゲーになってしまうのだ。

 

マーケの人材市場で起きる「相転移」の具体例

ようやく長い前置きが終わったので、この「相転移」について、マーケの専門家がどう考えているのか、見てみよう。

チャットから、山口さんの発言を引用する。

<<マーケスキル獲得の知の高速道路で、マーケ人材市場に相転移が起きるんじゃないか?

これはすでに多くの現場で起きていると思います。特に、ふろむださんのおっしゃる原因特定解像度が高く、試行サイクルが短い、デジタルメディアを用いた販促~顧客獲得の施策領域では、すでに起きています。

マーケティングのコミュニケーション施策には、2つの目的があり、1つはブランドへの認知や知覚価値を形成するブランディング目的のもの(ブランドAと言えば◯◯が得られる、更に進むと、◯◯と言えばブランドA の実現)で、ブランドへの信頼度やイメージの向上を目的にし、俗に言う「ブランドリフト」で評価します(ただ、この計測も難しく、解像度高く把握できているとは言い難い精度と感じることは多いです)。

2つめは、顧客からの購入を目的にした、販売促進目的の施策で、シンプルに購入の数やコンバージョンで評価します。後者に関しては、すでに明確な数字がとれることが多い。

上記の目的は、手法と紐づくものではなく、テレビの15秒CMでも、ブランディング目的の場合もあれば、スマホのアプリのようにダウンロード~ゲーム開始のような顧客獲得を目的にした販促目的のものもあります。

相転移の目線としてみますと……

ブランディング目的の施策領域においては、未だに精度の高いブランドリフトの計測手法が確立していないことと、他の成功例をパクっても後追いが明白だと、消費者からも二番煎じとして支持されないため、基本的に手八丁口八丁な職人が優位性を保つ環境が今でも相対的には維持されています(ソフトバンクの犬のCMがヒットしたから、KDDIも同じように犬を出せばうまくいくわけではない、というような構図で、ブランディングにおいては、差別性が効果を高めるうえで重要な要素になるからです。)

ブランディング目的の施策の善し悪しは、明確な計測が難しいものの、同時期に展開する販促施策の顧客獲得コストを維持したまま獲得数を増やせるか?という視点で評価すると、ある程度目星つく感覚はあります。

良いブランディング施策は、顧客獲得の販促施策のリーチを拡げても、CPA(顧客獲得)のコストはあがらずに維持できます。

あとは、実際にLTVの高い顧客のブランド評価を調査し、「どのような価値の認識があると、購買が増えるか?」を検証し、それをコミュニケーション施策にフィードバックすることもあります。ただ、これはダイレクトマーケティング手法の会社でないと精度の高い測定も難しく、原因特定解像度がなかなかあがらないのも実情です。

一方で、販促目的の施策領域においては、数字が計測できるデジタルの世界では、完全に相転移が起きており、過去の経験を蓄積した企業や個人が有利とは限らず、若い企業や個人が相対的に戦いやすく、すでに下剋上が起きている場だと思います。既存の大手広告代理店の優位性はありません(同時にデジタル領域もコモディティ化してきたので、デジタル専業の会社の多くも、大手広告代理店に対して特に差別性もなく苦しくなっていますが……)。

特に、マス広告の打ち方を見ていると、デジタルの販促の世界でPDCAをまわすことになれた若いネット企業がTV-CMをやると、明らかに学習の速度と力が、既存の古い大手企業とはケタ違いに強く、あっという間に学習していきます。企業規模は大きいですが、モバイルの世界でソフトバンクがキャリアとして成長したのも、大規模な販促施策も数字で検証し、効果の高いやり方に寄せていく、組織的な学習力の高さが大きいと感じています。

私はエビデンスを持っているわけではないですが、ふろむださんがおっしゃる「原因特定解像度がけっこう高く、サイクル長もめっちゃ短いものが、学習の高速道路になる」は、非常に納得感が高く同意です。

ご指摘の、Webでのインフルエンサーの学習力もそれに支えられているでしょうし、私が着目する、BtoBのマーケターや営業組織のトップも同じです。BtoBは、BtoCより予算規模が小さかったり、施策数が少なかったりするため、BtoCほど担当者や施策が細分化されておらず、マス媒体での広告~PRからイベントコンテンツや販促施策、さらには営業施策までを個人~少人数で鳥瞰しながら担当しているケースがあります。

そのため、個別の狭い範囲の数値最適化ではなく、事業の売上~収益目線からの横断した全体の数値最適化のセンスが養われることが多い。

また、商品もBtoCのメーカーなら、企画から市場投入まで年単位かかりますが、BtoBのサービス業ですと、極端な話、顧客からのフィードバックにより数日でプロダクトを修正し、再投入して市場の反応を検証できます。

つまり、BtoBは施策の数が少ないだけに、原因特定解像度も高いですし、組織を横断して全体最適化を担いやすい、マーケティング施策のサイクルも短い、と、実は成長しやすい環境条件が揃っています。そういう視点からは、BtoBのマーケターキャリアはもっと着目されても良いと思っています。



この発言の中で、私がとくに気になったのは、
「特に、マス広告の打ち方を見ていると、デジタルの販促の世界でPDCAをまわすことになれた若いネット企業がTV-CMをやると、明らかに学習の速度と力が、既存の古い大手企業とはケタ違いに強く、あっという間に学習していきます。企業規模は大きいですが、モバイルの世界でソフトバンクがキャリアとして成長したのも、大規模な販促施策も数字で検証し、効果の高いやり方に寄せていく、組織的な学習力の高さが大きいと感じています。」
という部分。

山口さんの書かれた 『マーケティングの仕事と年収のリアル』 の中では、どうしたらマーケターの年収を上げていくことができるかが議論されているが、今後は、この点も意識して就職先・転職先を選択すると、生涯賃金が大きく変わってきそうに思う。

ここまで、(1)の相転移を説明するだけですでに1万字以上になってしまっていて申し訳ないが、残りの3つは、もっと手短にまとめられると思うので、もうしばらくお付き合いいただきたい。

これからクリエイティブ・マーケと定量マーケの両方の能力を兼ね備えた人材が誕生するわけ

この章では、

(2)クリエイティブ・マーケと定量マーケの両方の能力を兼ね備え、それらを統合してマーケティング業務を行うマーケ人材が台頭する。

について解説する。

これは、私がごちゃごちゃと解説するより、そのままストレートにチャットの文面を読んでもらったほうが、わかりやすいし、誤解も少ないだろう。



チャットログ(山口さんの発言)

変化のひとつめは、ひとことで言えば、センスやクリエイティブを担っていた人材と、定量的な結果の把握に基づく投資の最適化を担っていた人材~チーム~会社は、かなり別れていたのですが、その両方がわかる~できる人やチームのニーズが高まり、個人のスキルもその両方を担える方向に向かわざるをえないと思います。

その理由は、元々その両方がわかって統合的に判断~実施できる人へのニーズは潜在的にあったのですが、双方をまともに実行するには、相当な訓練の時間蓄積が必要なため、両方を持つ人が少なく、一部のスーパープレイヤーに留まっていました。

しかし、「定量的な効果測定に基づく最適化ツール」と「顧客に提示して成果のでるクリエイティブ制作を示唆~補助するツール」が急速に発展しており、それぞれ職人芸的な経験蓄積がなくても、80点の判断ができる素地はかなり高まってきています。

Adobe のAI進化のプレゼンテーションを見ていると、単なる画像解析ではなく、プロのクリエイターの作業のプロセスや、その制作物の成果を紐づけて学習し、制作者により高度な制作と判断のリコメンドを出していくのがかなり近い未来に実現します。そうなると、クリエイターは深い経験蓄積がなくても、どういう作品を作れば、売れるものになるか?がわかるようになり、そのキャッチアップ速度はまさに知の高速道路そのものだと思います。

同様に、センスではなく定量分析に基づく最適化がメインの役割だったマーケターも、その定量的結果とクリエイティブの内容が紐付いて、ふろむださんの言葉でいう原因特定解像度が一気にあがり、クリエイティブのセンスとターゲット層とビジネス成果の因果関係を急速に学習していくはずです。

このような学習効率に関しては、私はInstagramをやっている素人を見ていると、どんどん写真が上手になっていくことで実感します。写真の構図、色変化のフィルター、そしてフォロワーの反応、インフルエンサーの投稿内容の研究や模倣によって、写真の素人だった人々が、急速にセミプロのような写真を撮り、全体のレベルは著しく上がっています。
このように双方の異なる役割を担っていたマーケター的な人々は、ツールの進化によって、圧倒的に学習効率が高まり、その役割は互いに越境~連携していく、そして最後はひとりの人が担う世界に近づくという仮説を持っています。

しかし、ここから先が変化の2つ目になるのですが……

上記のような、AIによって最適化のリコメンド精度が上がれば上がるほど、マーケターのアウトプットは同質化していき、市場では差別性を失って、結局は埋もれるのでは?という懸念の仮説もあります。そうなったとき、何が競争力となるのか?と考えると、ちょっと合理では説明できない、ファナティックな偏愛性では?という仮説があります。

私がよく考えるのは、日清食品のカップヌードルのCMです。あれだけ認知度も高く、市場シェアも高い商品になると、あれだけのCM投下量が商品の販売量を更に押し上げるか?というと、そこまで甘くはなく、何かの合理を超えた判断や、カップヌードルという商品ブランドだけではなく、日清食品のコーポレートブランドを高めるような意図がなくては成り立たないとも感じます。また、クリエイティブの内容も、いわゆる「他でウケているから」という判断ではなく、オーナーでもある安藤社長の個人的な価値観の発露にも感じられるような、尖ったメッセージやクリエイティブをひたすら発信しつづけています。目先の販売量増加に対する費用対効果として正しいかはともなく、少なくとも日清食品やカップヌードルは、他の同業他社にはない強い感情的な絆を感じるファンが存在しているように見え、会社の採用にも寄与していると思います。小売のPB(プライベートブランド)が侵食してきている市場において、最後までメーカーのNB(ナショナルブランド)として生き残るのは、間違いなくカップヌードルのような好き嫌いわかれるけど強いファンがいるブランドです。そう考えると、長期戦略としては、カップヌードルの偏愛性ある個性の発信は非常に経済合理性のある話かもしれません。

また、ビジネスの規模は日清食品よりだいぶ小さいですが、クラフトビール「よなよなエール」のヤッホーブルーイングや、ECサイトである「北欧、暮らしの道具店」のクラシコムも同様で、いわゆる前例踏襲や他社ベンチマークではない施策を繰り返しているからこそ、コアなファンが生まれ、事業も成長しつづけているように見えます。

つまり、消費者が「ブランドの違い」を求め続ける限り、様々なAIによって施策の表現やコンテンツの全体レベルがあがっても同質化したとしたら、結局はAIリコメンドに沿っているだけでは、事業のパフォーマンスもあがらず、最後の差別化は、人の思想やこだわりのような偏愛要素になるのではないか?という仮説です。ダニエル・ピンクのハイ・コンセプトも似たような主張だったかもしれませんが、そのリアリティが高まってきているように感じます。それこそ、デジタル化によって、世の中のデザインツールやトレンド情報が出回った結果、いま、どのブランドもデザイン表現はオシャレで、むしろダサいブランドのほうが珍しい(笑)。ただ、それと市場の競争力は別の話で、なかなかクリエイティブが洗練されたからといって、モノが売れるわけではないのは、データをみているとはっきりしています。クリエイティブの評価が高くても、売れない商品は沢山あります。



 



これに対する、ふろむだのレスは、以下のようになる。

チャットログ(ふろむだ発言)

となると、マーケ専門職でメシを食っていこうと思っている人は、

◆「クリエイティブ・マーケ」と「定量マーケ」の両方のスキルを、両方共80点にする。
◆それらを統括してマネージメントするポジションをゲットして、そこで実績を積み上げる。

というのが、今後、よさげなキャリア戦略ですかね。

ただ、それが定番の勝ちパターンになってくると、そこもいずれコモディティ化する。

そうなると、相対的に、偏愛マーケの優位性が目立ってくる。

ただ、偏愛マーケは、ビジネスオーナー的立場とは相性がいいけど、
マーケ専門職というポジションでは、なかなかやれる機会を得られないかもしれない。

個人的には、偏愛マーケが成功しているように見えるのは、生存者バイアスがかかっていないかと、気になります。
自分が偏愛的に入れ込んだものが、たまたま一部のユーザの心を掴んで、偏愛マーケが成立するのは、宝くじにあたっただけのようにも見えるのです。

クリエイティブ・マーケと定量マーケのスキルには、「汎用性」があります。
「汎用性」には、メリットとデメリットがあります。
メリットは、再現性があって、つぶしがきくことです。
デメリットはコモディティ化しやすいことです。

偏愛マーケのスキルには、クリエイティブ・マーケや定量マーケほどには「汎用性」がないのではないでしょうか。
そのため、コモディティ化しにくいというメリットがあります。
しかし、再現性がなく、つぶしがきかないというデメリットもあるのではないでしょうか。



ここで80点と言ったのは、0点を80点にするのにかかるコストと、80点を90点にするコストは、あんまり変わらなかったりするからだ。
収穫逓減の法則が働くためだ。
つまり、クリエイティブ・マーケか定量マーケのどちらか片方だけを90点にするコストと、両方を80点にするコストは、あまり変わらないということ。
だったら、「90点、0点」の人より、「80点、80点」の方が、強いんじゃないかと。

この80点の話は、次の山口さんの発言に見られるように、「クリエイティブ・マーケ」や「定量マーケ」のような粒度の大きい話だけでなく、もっと粒度の小さい話にも適用されるのではないかという話もある。



チャットログから引用(山口さん発言)

技術の進化と共に、GoogleやFacebookのようなプラットフォームの影響力が高まったことで、ある日突然に需要がなくなる仕事が増えていると感じます。それこそFacebookページは、タイムラインへの露出量を絞るとFacebookが判断した瞬間、重要度が下がり、そこの専門性への需要は死んでしまう。

つまり、何かのスペシフィックな技術や専門性に頼ったキャリア開発のリスクは高まり続けるのではないでしょうか。(もちろん何の技術や専門性も持たないままにジェネラリストとしていきなり頭角を表すのも難しく、若いうちにひとつの基盤をつくるうえで通る道として、専門性を持つことは今後も重要かもしれませんが……)

そうなると将来が危ういのは、狭い領域のスペシフィックな専門性や技術です。当然、オペレーティブな判断や作業は真っ先に消滅するので、デジタル系の広告代理店のなかで、複雑性の低い判断と業務をやっている人、デザイン会社のなかでオペレーティブな作業をやっている人は、ある日、自動化によって、突然仕事がなくなるリスクは増えていきます。



大きな樹をイメージしてほしい。
末端の枝葉の部分は、生え変わりが激しいため、せっかく葉っぱの部分で90点のスキルを蓄えても、ある日突然、その葉っぱが枯れ落ちてしまうかもしれない。
一方で、さまざまなスキルを統合してマーケ業務を遂行する、太い枝や木の幹にあたる部分は、生え変わる頻度が少ないので、そこは90点でも、95点でも、ガッツリスキルを蓄えても、投資が無駄になるリスクは低くなっていく。

この「太い枝」にあたるのが、(2)の「クリエイティブ・マーケと定量マーケの両方の能力を兼ね備え、それらを統合してマーケティング業務を行うマーケ」なのだ。

そして、「幹」にあたるのが、「経営」だ。
もちろん、「経営」は、もはやマーケの仕事ではない。
しかし、幹に近いスキルほど、陳腐化リスクが少なく、スキルの投資先として優れていることには違いはない。

それが、(3)の「マーケティング業務だけの部分最適を行うのではなく、経営者のように、会社全体を把握し、全体最適のマーケティングを行う人材が台頭する」に繋がってくる。

 

部分最適ではなく、全体最適のマーケティングを行う人材が台頭する

この章では

(3)マーケティング業務だけの部分最適を行うのではなく、経営者のように、会社全体を把握し、全体最適のマーケティングを行う人材が台頭する。

について解説する。

これも、まずはチャットログを見てみよう。



チャットログから引用(山口さん発言)

逆に、将来有望なのは、それらの専門領域の判断を、上位で統合判断するための知識だと思います。それは、業務プロセスを俯瞰し、何を自動化すべきかを判断する力であり、業務プロセスに限らず、人事・組織、事業戦略、財務戦略といった、一見、マーケティングとは距離のありそうな、でも、判断に影響を与える要素の専門性が、マーケターが良いキャリアをつくり、生き残るための鍵になると思います。
また、IT~技術に造詣が深く、いち早くそれを取り込むのが早いのもマーケターとして大きな差別化になり、有望な競争軸です。

実際に、最近デザインの世界で大きな影響力を持つtakramやTHE GUILDEといった会社をみていても、そのポジショニングをつくった要因は、純粋なデザイン力だけでなく、先端技術の取り込みの早さと、周辺領域のナレッジの深さ~統合力にあると感じます。佐藤可士和さんも同様で、彼のフィーの時給の高さは、普通のデザイナーの軽く100倍以上はあると思いますが、その要因がデザイン力の差だけではないと感じます。私は直接佐藤可士和さんを存じ上げないですが、何名かクライアントの経営者が重複しており、佐藤可士和さんへの高い評価として、デザイン能力への信頼だけでなく、それ以外の部分への理解や統合力、そしてビジネス成果へのコミットメントの高さを口にされます)



チャットログから引用(ふろむだ発言)

結局の所、会社としては、マーケばかり部分最適しても、全体最適にならないと、美味しくないですからね。
全体最適になるようにマーケの仕事をこなしてくれるマーケターの需要が高くなる、というのは、とてもよくわかります。

僕は、そういう人材を育てるのに一番ROIが高い手法は、経営会議メンバーにしてしまうことだと思ってるんです。
とにかく、伸びしろがありそうな人を、じゃんじゃん経営会議に入れちゃうんです。
経営会議がめっちゃ大人数になるので、すごい非効率なんじゃないかってよく言われるんですが、逆になんですよ。
経営会議っていうのは、企業の中で、最強の教育機関だと思っていて、才能ある人間がそこに放り込まれると、考えられうる限り、最速のスピードで成長します。
その恩恵を、会社でもっとも優秀な人材に施せば、会社は、ものすごく強くなるんです。

経営会議で議論が割れたときなど、若手にも、どんどん意見を求めます。
最初のうちはしょぼい意見しか言えませんが、しょぼい意見しか言えない自分に焦りを感じるのか、猛烈に勉強するようになります。
それも、「経営会議でいい意見を言えるようにすること」という目標設定で勉強すると、めっちゃ目線が高く、質の高い勉強になるんです。

もちろん、経営会議議事録は、リアルタイムでGoogleドキュメントで書かせます。
外してることを書いたら、リアルタイムで、じゃんじゃん修正・加筆していきます。
それを見て、議事録の書き方を、体で覚えていくんです。
また、何が問題なのか、何が決まったのか、今後どうすべきなのか、会社全体の経営課題に関する意識がすごく高まります。
すると、普段の仕事のクオリティも、ぐんぐん上がっていくんです。

結局の所、経営会議で決まった「結果」だけを部下に伝えても、人材はなかなか育たないんです。
会社の最もハイレベルな人材たちの紆余曲折の議論を経て、その結論にたどり着いた、その全過程を、微妙な表情の変化や、間や、声のトーンまで含めたニュアンスとして受け取ることが、クリティカルに重要なんです。

そこまで理解すると、現場での判断が、経営会議の判断とずれることが、少なくなってきます。
すると、「現場の困った問題」が経営会議に持ち込まれることが減って、会社全体の生産性も上がるんです。
なぜかというと、経営会議の価値観を共有する、経営会議の出張所が、会社全体に神経網として張り巡らされるからです。
会社の隅々にまで、経営会議の意思が、かなり深いレベルで浸透するからです。

これは、人材を育てる側のコスト削減にも、大きく役立ちます。
人材を育てるには、非常に大きな手間と時間がかかります。
それは必要コストと割り切って、投資するしかない、と我々は考えがちです。
しかし、彼らを経営会議に放り込むだけで、ほとんど手間をかけずに、劇的な成長を遂げてくれるので、人材育成にかかる手間が、大幅に削減されるんです。

「あまり大人数だと、意見が割れて、議論にならないのでは?」
という心配をする人もいますが、議論が錯綜するのは、人数の問題じゃないです。
少人数だろうが、大人数だろうが関係なく、効率的に議論ができない人間がまじると、議論の効率が落ちるというだけの話です。
効率的に議論ができない人間さえ会議に入れなければ、どんなに大人数でも、議論の効率が落ちることはないです。



 



チャットログから引用(山口さん発言)

<<<僕の考えでは、そういう人材を育てるのに、一番ROIが高い手法は、経営会議メンバーにしてしまうことだと思ってるんです。
<<<とにかく、伸びしろがありそうな人を、じゃんじゃん経営会議に入れちゃうんです。

これは個人的な体験として、非常に納得感があります。私は23~27歳の頃、ソニーの子会社でコンサルティングをやっていたのですが、26歳の頃に、ある日突然、上司の事業部長50代の方が心不全で突然死してしまい、しかし、私の出向元からも、合弁相手のソニーからも人材の補充がなく、消去法の人事により、26歳で事業部長になりました。
その結果、おっしゃるように会社全体の経営会議に出て、社長や他部門の長達と議論を交わし、年上の部下に対しても、全体最適の判断でフィードバックし……を繰り返し、そこからの1~2年で10年分くらいの成長と疲労(笑)をした覚えがあります。今思えば、私がマーケティングの細かな専門性ではなく、より上位の各種戦略との統合の必要性を肌で実感し、猛烈に勉強したタイミングだったと思います。

なので、ふろむださんのおっしゃる育成メソッドは、本当に深く同意いたします。



チャットログから引用(横田さん発言)

>伸びしろがありそうな人を、じゃんじゃん経営会議に入れちゃう

という話は、編集部の会議とも重なり、まさに我が意を得たりでした。
会議は減らすほどよいという意見もありますが、全員で企画を判断したりタイトルを考えたりする編集会議は、教育のためにできる限り時間を取るべきと思っていました。

山口さんの本にあるように、編集者の最も重要な能力の1つが価値の説明能力です。
自分が言語化できなかったことが目の前で言語化される瞬間に居合わせるのは、非常に貴重な経験になります。



もちろん、あの会議もこの会議も、勉強になるからと、やたらめったら会議の人数を増やしていくと、社員のスケジュールが会議だらけになって、仕事をする時間がなくなってしまう。
だからこれは、単に「会議の人数を増やせ」という意味ではないのだ。
一般に、会議の機能として、「意思決定」と「意識合わせ」の2つがよく取り上げられる。
しかし、会議には、それら2つに匹敵するほど重要な第三の機能として「教育」がある。

ますます時代の流れが加速し、枝葉が生え変わっていく時代、より幹に近い部分のスキルを獲得するには、会議の「教育」という機能の重要性が高まってくる。
なぜなら、それは、幹に近い部分のスキルを身につける、最もROIの高い成長機会の1つだからだ。
とくに経営会議の場合、それよりもさらにROIの高い方法となると、もはや自分で起業するぐらいしか、選択肢はなくなる。

ただ、経営会議メンバーをやたらと少人数にして、会社にとって重要なことを密室でこそこそ決めたがる体質の会社というのも多い。
そういう会社だと、若手が経営会議メンバーになれるチャンスはなかなかやってこない。
なので、個人のキャリアアップ戦略としては、転職先を選ぶときは、そういう会社は避け、自分のような人間でも経営会議に入れてもらえる可能性の大きな会社を選んだ方がいいかもしれない。



それから、より経営に近い部分のスキルを身につけるという話は、偏愛マーケの話にも繋がってくる。
なぜなら、偏愛マーケは、ビジネスオーナーと相性のよいマーケだからだ。
クリエイティブマーケや定量マーケなら、経営陣の偏愛をそれほど深く理解しなくても、それなりに成立することもあるだろうが、こと偏愛マーケに関する限り、経営陣の偏愛とマーケターの偏愛にズレがあると、成立しない。偏愛マーケは、汎用的なマーケ施策ではなく、その会社独特の偏愛に深く根付いた個別具体的なマーケだからだ。

個人的には、この偏愛マーケは、インフルエンサーの方々が言っている「好きを仕事に」と繋がっている話だと考えている。
インフルエンサーの方々の言う「好きを仕事に」にも一理ある。
それは、先程説明したような耐コモディティ性があるためだ。
一方で、「好きを仕事に」には欺瞞もあって、自分の偏愛(好き)をいくら突き詰めても、それではお金の稼げない人もたくさんいる。
もちろん、「自分の好きで稼げるようにビジネスモデルを作り上げるのがマーケティングというものだ」とおっしゃる方もおられるとは思う。
ただ、この議論をちゃんとやろうとすると、本一冊分になってしまうので、ここでは深入りしないことにする。
現在、たくさんの方にインタビューさせていただきながら、『好き』と『仕事』についての本を執筆中なので、もしよかったら、 twitterのDMで、あなたの『好き』と『仕事』について、話を聞かせて いただけると嬉しい。

落ちぶれるハイコンテクスト人材、台頭するローコンテキスト人材

この章では、

(4)日本市場の縮小とともに、日本市場に特化したハイコンテクスト・マーケよりも、グローバルに展開するためのローコンテキスト・マーケの需要が高まる。

について解説する。

 



これも、最初にチャットのログを見た方がいいだろう。



チャットログから引用(山口さん発言)

マクロでみると、最大の変化は、人口構造と共に、所得や消費の二極化にあるのでは?という仮説があります。
車を例にするとわかりやすいのですが、6万ドルを超えるような高級車と、1万ドルを切るような低価格車は、世界的にみて市場が伸びる成長性が高いが、中価格帯の車は、どこかで伸びが止まるという予測の見かたもあります。それは、今後のグローバル市場全体でみても、経済の全体レベルは底上げされていっても、長期的には富が偏在し、(相対的な)中間所得層の構成比は減り、消費も二極化するという見かたです。これは人によって予測もばらつくため、その精度は怪しく、仮説の正しさの判断は私もできないのですが、このシナリオは日本の企業の競争力には大きな影響を与えます。


一般論として、日本のグローバルに成功したメーカーは、中価格帯であることが多く、高価格帯と低価格帯は弱いという傾向があるためです。国内市場はすでに、ビール、化粧品、自動車など、中価格帯市場が縮小し、高価格帯と低価格帯の構成比があがっている市場が散見されます。


この流れがグローバル市場でも起きた時、高価格帯市場を確保できるほどのブランド構築力がなく、低価格帯で戦えるほどのコスト競争力のない日本メーカーは、大きな問題に直面します。おまけに得意とする中価格帯でも韓国や中国のメーカーから市場を侵食されていく圧力もあります。現在のスマホの世界市場での日本企業の敗退パターンが、他のカテゴリでも起こるという悪夢です。
いまは一部のメーカーが問題を認識し、長期的な戦略テーマとして水面下で対応検討していますが、この中価格帯での戦い方に最適化しきった組織体質を本当に変えて、変化適応できるのかはわかりませんし、まだ成功した会社はないように感じます。


あと、もうひとつは、グローバル化に伴い、ブランドコミュニケーションも変わっていくのは、ローコンテクスト化です。日本は島国であったり人種的な多様性がないので、文化的には非常に入り組んだお約束ごとが幅広く共有されており、ハイコンテクストなコミュニケーション施策が多く、それが成立しやすい特徴があります。
しかし、海外で多くの国に受け容れられるブランドコミュニケーションとは、前提となる文化や文脈共有のない状態でのローコンテクストな市場に受け容れられるコミュニケーションコンテンツや表現です。世界的な価値観調査をすると、国をまたいで支持の強い価値観は、家族愛などが象徴ですが、そこまで多くはありません。
つまり、コミュニケーションのクリエイティブの作り方が、ハイコンテクストな環境で細かな表現や演出でエッジを利かすものではなく、ローコンテクストな環境でメジャーな価値観に向けて深くささるような、相対的には正攻法な作り方に変わらざるをえません。(もちろん高級ブランドのような、一部の人にわかればよいという排他性が価値になるものは、引き続きハイコンテクストなコミュニケーションが維持されるでしょう。)


このようなローコンテクストなクリエイティブとなったとき、現在の日本の広告代理店やクリエイターの多くは競争力を失います。これは英語の言語対応の問題だけでなく、無意識レベルで、日本市場のハイコンテクストな文化に過剰適応していることも原因のひとつと思います。私のクライアントのグローバルな日本メーカーは、日本国内のコミュニケーションにおいては国内の広告代理店に声をかけますが、グローバルなコミュニケーション施策においては、すでにコンペの開催そのものが米国となり、そこでは日本の広告代理店には声がかかりません。もちろん電通などはそこへの危機感を含め、コーポレートとしては海外の会社を買収して適応していますが、マーケター個人のキャリアとして考えると、いかにローコンテクストな文脈に対応した作り方をするか?は、大きなマインドセットの転換になります。これはコミュニケーションに限らず、グローバル統一展開するような商品であれば、商品づくりも一緒だと思います。スマホなどは、基本的な設計は世界的に共通化しつつ、ハイコンテクストなローカライズされたニーズは、アプリが担うという、非常に優れた二階建ての商品設計になっています。



チャットログから引用(ふろむだ発言)

そもそも、日本でマーケターのキャリアを積むこと自体が、けっこうリスクかもしれないです。
「二極分化していて、ローコンテクスト」がグローバルスタンダードなら、そういうマーケットでのマーケティングのキャリアを積み重ねた方が、グローバルに通用する人材になりやすいですね。
単に、英語さえ勉強すれば、グローバル人材になれるとか、そういう話じゃない。

ノキアやサムスンがいい例ですが、国内マーケットサイズの小さな国だと、はじめからグローバルマーケット相手に商売をしますよね。
今後、日本の国内マーケットのサイズが小さくなっていくと、日本も、同じ現象がおきませんかね?
となると、海外の「二極分化していて、ローコンテクスト」のマーケットでマーケキャリアをつんだ日本人は、いざ、日本企業がグローバルマーケットを相手に商売をし始めるとき、日本企業から、モテモテの人材になったりしませんか?



チャットログから引用(山口さん発言)

これはおっしゃる通りですね。いわゆる韓国のように、自国市場が小さいと、海外市場を優先して市場戦略を組み立てるようになっていきますね、確実に。
あるグローバルメーカーでは、15年前は日本市場の売上が30%あったものが、いまでは20%を切るところまできて、確実にマーケティング戦略の組み立てにおいて、国内市場は後回しで優先順位が低いものになっています。そういう意味で、グローバルマーケターの王道の高給キャリアを積み上げるのであれば、そのようなローコンテクストな経験を積むことを基準に仕事を選ぶという話になると思いますし、すでにそうなっていると思います。

電機メーカーや自動車メーカーの方達が苦笑いするのは「最近のうちの若手は家電製品(or自動車)に興味がない。なんでうちに来たの?と聞くと、グローバルなマーケティングに本社として関われるのは、電気と自動車しか見当たらなかったからです、なんて言われてしまって……」なんて話もよく聞きます。



日本市場に特化したハイコンテクスト・マーケのスキルに価値があるのは、日本市場が大きいからだ。
だから、日本市場の縮小とともに、日本依存のハイコンテクスト・マーケのスキルの価値は下がっていく。

もちろん、ハイコンテクスト・マーケ自体は、世界中で有効だ。
しかし、インドのハイコンテクスト・マーケ、中国のハイコンテクスト・マーケ、日本のハイコンテクスト・マーケは、それぞれ違うスキルなのだ。

これは、先程の偏愛マーケと、構造が同じだ。
偏愛マーケ自体は、世界中の到るところで有効だ。
しかし、会社A、会社B、会社C、インフルエンサーや個人事業主A、B、C、の偏愛マーケは、それぞれ別のものなのだ。
互換性がないのだ。
だから真似されにくく、一度成立すれば、安定した地位を築きやすい。

しかしながら、日本市場向けのハイコンテクスト・マーケが、日本市場の縮小とともに、その価値が下がっていくのと同じ原理で、個々の偏愛マーケは、それが作り出す市場のサイズや需給バランスによって、価値が大きく違う。
たまたま、自社あるいは、個人事業主が食っていけるくらいに大きな市場サイズの偏愛を自分が持っていた場合、その偏愛マーケは成立するが、運悪く、自分の偏愛の市場サイズが小さいと、偏愛マーケではメシは食えない。また、市場サイズが大きかったとしても、需要が小さく供給が大きい市場であれば、やはりメシは食えない。

個人的には、「クリエイティブ・マーケ、定量マーケ」と「偏愛マーケ」の強みと弱みが反転しているように、ローコンテキスト・マーケとハイコンテクストマーケは、強みと弱みが反転していると思っている。
「偏愛マーケ」よりも、「クリエイティブ・マーケ、定量マーケ」の方が汎用性がある分、競争相手も多く、コモディティ化しやすいのと同じ原理で、ハイコンテクスト・マーケよりもローコンテキスト・マーケの方が、汎用性がある分、世界中の優秀なマーケターとの競争にさらされ、そのスキルもやがてはコモディティ化していくのではないだろうか。

また、これは、「原因特定解像度×サイクル長」の変動による相転移の話とも繋がってくる。
旧世界である氷の世界で得たマーケスキルの価値が下がっていくのと同時進行で、日本に依存したハイコンテクスト・マーケスキルの価値が下がっていく。
したがって、今後、中年マーケターの持っているマーケスキルの価値は、二重の意味で、陳腐化していくので、多くの中年マーケターの人材価値の低下スピードは、人々が思っている以上に速くなる。

 

2人の議論のまとめ

対談の内容は、だいたいこんな感じだが、話が一段落したところで、
タイトル詐欺にならないように、ちゃんと最初の問である、

マーケティングの人材市場からわかる、これから「台頭する人」「落ちぶれる人」の条件

に対する答えを出そう。

まとめると、
原因特定解像度が低く、1サイクルが長い環境で仕事をしてきた中年マーケターは、今後、落ちぶれるリスクが大きい。
なかでも特に、枝葉に近い部分で仕事をしている中年マーケターは、落ちぶれやすい。
それに比べると、幹に近い部分で仕事をしているマーケターは、相対的には、落ちぶれにくい。

ただ、幹に近ければ安全が保証されるかというと、話はそう簡単ではない。
たとえば、元エンジニアの中年管理職が、技術スキルが古いために、管理職としても使い物にならないというケースはよくある。
その中年が現役エンジニアだった時代は、ウォーターフォール型開発だったのだが、今や現場はアジャイル開発に移行したし、プログラミング言語や開発・運用環境も激変してしまった。そのため、昔の現場感覚を元に、開発・運用方針、予算割当、採用計画、人事評価基準、他部署との対応方針を決めてしまうと、現場がどんどん非効率になってしまったり、問題がたくさん発生したり、有能な人材が辞めてしまったり、ろくな人材が採用できなかったりして、組織がどんどん衰退してしまう。などというケースがよくあるのだ。

マーケターも、これと同じなのではないだろうか。
原因特定解像度が低く、1サイクルが長い、氷の世界で現場感覚を培ったマーケターが、幹に近い部分の仕事をすると、相転移後には、現場感覚とズレた頓珍漢な経営判断をしてしまう。そういう人間が会社の中枢に居座っていると、会社は、衰退に向かうだろう。

そう考えると、今後は、たとえ幹に近い部分で仕事をしている中年マーケターといえども、どこまで安泰かは、怪しい。
相転移後の水の世界で、知の高速道路に乗って、凄まじい速度で成長してきた若手のマーケターに、経営会議に入るチャンスが与えられると、案外、あっさり下剋上が成立してしまい、幹に近いところで偉そうにしていた中年マーケターは、経営会議から叩き出されることになるかもしれない。

また、日本依存のハイコンテクストマーケのスキルばかり蓄積してきた中年マーケターは、日本市場の縮小とともに、グローバルなローコンテキストマーケのスキルを身に着けたマーケターに比べると、相対的に落ちぶれていきやすい。
もちろん、日本市場の縮小のペースと、ハイコンテクストマーケのスキルを持ったマーケター人口の縮小のペースが同じなら、需給バランスは変化しないため、それほど厳しくはならないだろう。
しかし、グローバル市場に飛び出していくのは、それなりにハードルが高いため、国内でハイコンテクスト・マーケをやる人材の減少率は、日本市場の縮小ペースほどにはならない可能性もある。
そうなると、供給が需要を上回ることになり、ミクロ経済学の法則に従って、国内のマーケ人材は、少ない数の椅子を取り合う、ハードモードの椅子取りクソゲーをやるハメになる。

じゃあ、どうすれば、「台頭するマーケ人材」になれるかというと、今のうちに、原因特定解像度が高く、1サイクルが短く、より幹に近いところで仕事をするようにする。
これからマーケターになろうと思っている若い人にとっては、知の高速道路に乗って、中高年マーケターをごぼう抜きしていける、下剋上のチャンスに満ち溢れた時代だ。迷信を知識だと信じちゃってるゾンビ・マーケターたちを、水の世界の武器で、痛快にバッタバッタと倒して無双しよう。
また、ローコンテキスト・マーケを目指す人にの前には、グローバルな大海原が広がっている。大航海時代の始まりだ。時代の風を受けて、大きな帆を膨らまそう。
もちろん、偏愛マーケで、秘密の花園を目指して、けものみちを歩いていくのもいい。ただ、無事に理想の花園にたどり着けるかどうかは、個々人の持っている偏愛の種類と質に依存するので、一概には、なんとも言えない。

少なくとも、「原因特定解像度、サイクル長、幹への近さ、ローコンテキスト」という要素は、今後のマーケ人材の人生の分水嶺となる可能性が大きいということだけは確かだろう。
これらの分水嶺のどちら側に落ちる雨滴となるかで、10年後、20年後、あなたの未来は、まるで違ったものとなるだろう。



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