分裂勘違い君劇場の別館

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ぐいぐい引き込まれるWeb漫画/小説をつくる5つのコツ

もちろん、物語の作り方には、いろんなやり方がありますし、面白さには、いろんな種類の面白さがあると思います。

なので、ここで書くのは、私の、ごくごく個人的な意見にすぎません。


(1)無名作者のWeb漫画/小説の場合、冒頭から読者を引き込まなければならない


有名な作者の作品や、賞を取った作品は、話が面白くなるまでに、比較的長いページ数を費やすことが許されます。

しかし、無名作者の無名な作品の場合、前置きが長いと、話が面白くなる前に、読者は離脱してしまうと思います。

とくに無料のWeb漫画やWeb小説の場合、そうなりがちです。

我慢して退屈なものを読み続ける義理も動機も、読者にはないからです。

なので、無名作者のWeb漫画やWeb小説では、冒頭から、いきなりぐいぐい引き込まれて、目が離せなくなって、一気に読み進めちゃうようなストーリー展開にした方がいいかと思います。

そして、それはそんなに難しいことじゃないと思います。

もちろん、オリジナルなのをつくるのがいいと思いますが、
どうしてもオリジナルなのが思い浮かばない場合、
使い古されたテンプレでも、十分に機能すると思います。

たとえば、こんなのはどうでしょう?

『ダメな父親だ』と娘に思われている男がいる。
その父親は、娘を喜ばせようと一生懸命なんだけど、不器用なので、なかなかうまくいかない。
その娘が、父親の目の前で、吐き気を催すほどゲスい男たちに拉致された。
その父親は、娘を助けるために、ものすごく無理に無理を重ねて、ボロボロになりながらも、死に物狂いで、追跡したり戦ったりする。

これは、「娘」のところを、妻、恋人、幼馴染、クラスメート、異性or同性の友だち、などにしても同じです。

これって、どうしょうもなく使い古されたテンプレではありますが、
物語の冒頭で、ほんのわずかなページ数で、読者を引き込むことができる、
王道のテンプレだと思います。

そんな使い古されたもので、読者は引き込まれるのか?
というと、引き込まれると思います。

テンプレは同じでも、表現の仕方を変えれば、それぞれ全然別物に見えますから。

こういう「読者を引き込むテンプレ」は、ほかにもいろいろあります。
たとえば、「酷いマイナスの状態にある人間が、チートして人生をやり直す」
ってのもやはり、最小のページ数で、読者を引き込むことができるテンプレだと思います。

たとえば、「ひきこもりニートが異世界に転生する」とか
「ダメな底辺ヤクザが、タイムスリップして、若いけど経験豊かなヤクザとしてやり直す」
なんてのも、そのバリエーションの一つだと思います。

もちろん、別にテンプレでなくても、自分でオリジナルのパターンを作ってもいいと思います。

いずれにしても、「冒頭の、最小のページ数で、一気に読者を引き込む」というのを、冒頭に持ってくるのが、Web漫画orWeb小説の作法みたいなもんだと思います。

これは、WebUIの設計における、LPOと同じ理屈です。
「最終話まで呼んでもらえる」というのを「コンバージョン」と考えて、コンバージョンレートをどこまであげられるか?
という風に作るのがいいかと思います。

 


(2)読者が感情移入しやすいリアルな邪悪さor理不尽さを描く

敵の邪悪さ(or世界の理不尽さ)がうまく表現されていないと、読者は感情移入しにくいと思います。

「なんだかわからないけど、とにかく敵は邪悪なんだ」だと、
読者が感情移入しにくいと思います。

これも、オリジナルなものを作れればそれにこしたことはないですが、
使い古されたテンプレでも、十分に機能すると思います。

たとえば、「弱者がいじめられている」というテンプレは、
感情移入しやすい邪悪さのパターンだと思います。

弱者(貧乏人/底辺/ブサイク/凡庸/子供/老人/奴隷/子犬/障害者/病人)が、鼻持ちならない強者(金持ち/上流階級/体格のいい男/才能あふれる人/イケメン/美人)に、ネチネチといじめられていれば、感情移入しやすくなります。

他にも、裏切りとか、差別とか、濡れ衣を着せるとか、読者がリアルに感じられる邪悪さや理不尽のテンプレはいろいろあります。

もちろん、テンプレじゃなくて、オリジナルで作り出してもいいですけど。

ポイントは、「読者が、身近でリアルに感じられる邪悪さor理不尽さ」を、丁寧に表現することだと思います。

 


(3)ROIを上げる

読者が、最小の読書コスト(Investment)で、最大の快楽(Return)を得られるようにする。

そのために、ROIの低い文言、絵、コマを、どんどん間引いていく。

ROIが低いもののうち、省略できるところは、徹底的に省略しまくる。

逆にROIが高い表現を、どんどん挿入して膨らましていく。

これ、ネームだとやりにくいかもなので、
一旦文章でプロットを書いて、その文章ベースでROIを最大にしてから、
ネームに落とすのがいいんですかね。

 

 

(4)読者に投資をさせない

設定や背景を説明しないと、話が分からないですよね。
だからといって、説明的な絵や文章を入れると、読者は退屈してしまい、そこで離脱すると思います。

説明的な絵や文章というのは、ROIが低すぎるからです。

なので、「ROIが高い話なんだけど、それが同時に、設定の説明にもなっている」という絵や文章によって、説明をしていきます。
つまり、読者がすげーワクワク面白く読むんだけど、読み終わったら、世界設定が頭に入っているので、その設定を使って、次の物語展開ができる、という作りにする。

これは、物語の中で「説明」をするための、基本原則だと思います。

 

 

(5)面白くなると期待させておいて、それ以上に面白くする方向で裏切らなければならない

もちろん、どんでん返しがないと、話は面白くなりません。

しかし、だからといって、
「ありきたりな話だと思わせておいて、ものすごい超展開になる」
という作りにしてしまうと、
そもそも読んでもらえません。

なぜなら、とくにWeb漫画やWeb小説の場合、「ありきたりな話だろう」と読者が思ってしまうと、そもそも、読者は離脱してしまうからです。

なので、まず、「面白い展開」を読者に予測させないといけません。

一方で、面白い展開を読者に予期させておいて、その展開にならないと、詐欺です。
俺は、こういう面白い展開を期待していたから読んだのに、全然そうならないじゃないか!
俺の時間を返せ!
というわけです。

なので、必ず、次のように、物語を作らないといけません。

(1)ターゲット読者にとって「ぜひ読みたい」と思わせる展開をつくる。
(2)その展開を面白いと思うようなタイプの読者が、それよりもっと面白いと思うような別の展開をつくる。

そして、物語の最初の方で、(1)だと読者に思わせて、読者をぐいぐい引き込んだ上で、途中から突然(2)の展開をして、どんでん返しをします。

  

 

■あとがき:


 

全てをベストにはできない

上記5つの点を、完全に満たすように作ろうとすると、なかなか作品ができあがらないと思います(天才とか本職とかは別)。そして、そんなに完全に満たさなくても、けっこう面白い作品になるのではないかと思います。

なので、上記の5つの点のうち、いくつかがそこそこできたら、それで見切り発車でいいのではないかと思います。

 

 

「アニメのどこが面白いのか分からない」というおっさんが見ても面白いアニメ18本

「夕方の時間帯とかにやってる子供向けアニメを見ても、子供だましで面白くない」
「深夜アニメを勧められて見たけど、何が面白いのかわからなかった」

こうことを言うおっさんがときどきいます。

でもね、そこで「アニメは面白くない」と思い込んでしまうのは、人生の損失かもしれんですよ。

というわけで、そういうおっさんでも楽しめそうなアニメをピックアップしてみたよ!

 


僕だけがいない街
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極上のサスペンスもの。まったくもって、子供だましではない。
むしろ、展開が高度すぎて、子供だとついていけなくなるんじゃないかと心配になるほど。
主人公の年齢がおっさんに近く、おっさんあるあるの悩みを抱えていたりして、おっさんでも感情移入しやすい。
おっさんのノスタルジーを刺激してくるシーンが多いのも、おっさんが感情移入しやすいポイントだろう。
子供も、親も、キャラがいちいち魅力的。シチュエーションも魅力的。
おっさんの嫌いな、不自然さや陳腐さがほとんどない。
絵も味があっていい。声優もいい。エンディングの歌とかも、すげーぐっとくる。
原作の漫画も面白いが、アニメも素晴らしい出来。

 


あの花の名前を僕達はまだ知らない
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ヒューマンドラマ。
おっさんでも、めっちゃ泣ける。心の襞にどんどん食い込んでくる。涙ぼろぼろ出て来る。
時間的な立体性があり、時間の流れや、人生の切なさ、やりきれなさ、すばらしさを描いているあたりが、おっさんウケしやすいポイントか。
これもエンディング曲がすばらしい。聞くたびに泣ける。

 

 


夜明け告げるルーのうた
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さっき映画館で見てきた。めっちゃ感動して、涙がたくさんでた。
海辺の田舎町を舞台にした寓話っぽい、コメディータッチのヒューマンドラマなんだけど、まるで何百万円もするペルシャ絨毯のように、たくさんの登場人物のさまざまな希望と絶望と思い込みと愚かさと美しさを何重にも織り上げて、切なくも重厚な物語に仕上がっている。
世界に誇れる日本のアニメと言っていいと思う。

 

 


響け!ユーフォニアム
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吹奏楽部が全国大会を目指す、という単なる部活ものなんだが、人生のリアリティを、残酷なほど深く切り込んでくる。
天才と凡人、報われる努力と報われない努力、ポジションを奪い合う戦い、成功と挫折、憧れと嫉妬と友情、去る者と残る者、現実、それら諸々を乗り越えての、感動のチームワーク!
これ、学校が舞台なんだけど、舞台を会社に、登場人物を全部おっさんに、目標をビジネスプロジェクトの成功に置き換えても、まるっきり話が成立してしまう。
そこには、おっさんたちの生きる過酷な社会と人生のドラマが凝縮されている。

 


聲の形
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一見、聴覚障害者の話かと思いきや、もっとずっと普遍的で奥深い、「人と人との関わりの形」?みたなものを描いている。
女の子たちがすごい可愛く描かれているが、話が強烈過ぎて、萌えている余裕が無いほど。
人間たちのどうしょうもなさを突き抜けて到達したラストは、すばらしい爽快さ!
丸一日、真夏の炎天下で肉体労働した後に飲む水が、とんでもなく旨い、みたいな効果もあるか。

 


この世界の片隅に

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まだこの作品がほとんど話題になっていなかったころに見てめっちゃ感動して、友人知人にその素晴らしさを語りまくっていたんだけど、その後、世間で騒がれ始め、すっかりメジャーになってしまった。
まー、私が語るまでもなく、これがオトナが見て面白い作品であることに異論のある人は、ほとんどいないと思う。

 


魔法少女まどか☆マギカ
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三話の終わりまでは、見るのが苦痛だった。なんだか退屈な女児向けアニメというか、アニメオタクの人とか、こんなのが面白いんだろうか。オレにはわからん。そう思って我慢してみていた。
ところが、三話の終わりで、「え?そういう話だったの?」みたいな展開になり、目が覚める。
そこからは、雪崩を打つように、怒涛の面白さが押し寄せてくる。
話の展開も面白いのだけど、グラフィックや音楽も実に素晴らしい。とくに魔女の描き方が、ほんとに目に楽しい。「魔女」という言葉から普通の人間が連想するような陳腐な魔女なんかではなく、おっさんの陳腐な想像をはるかに超える、ものすごく面白い、見てるだけで楽しい、さまざまなバリエーションの魔女!魔女!魔女!!!
このアニメの問題点を1つ上げるとすれば、これって、成人男性は楽しめるけど、女性は楽しめるのかな?ってこと。お色気シーンがあるわけじゃないんだけど、どうも、ストーリー骨格が男性的な感じがするんですよね。

 


サイコパス
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脚本が虚淵玄。虚淵玄さんは、魔法少女まどか☆マギカやFate/Zeroなど、ひねった脚本を書くので有名。このアニメも、オトナが楽しめるだけのひねりがあって、退屈させない。
一方で、子供が見ても、話がややこしすぎて、話についていけないかもしれない。あと、お色気シーンはないんだけど、スプラッタなシーンは、子供には刺激が強すぎる。いろんな意味で、大人向けのアニメだろう。

 


コードギアス
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知略を駆使したバトルもので、話がひねくれていて、オトナが楽しめる。
あと、主人公が、いわゆるアンチヒーローであり、目的を達成するためには、手段を選ばない。子供の教育上悪い。が、オトナには、そこが面白い。

 

 

まあ、他にもいろいろあるけど、あとは概ね有名所なので、タイトル名だけ列挙しておおくよー。

 

●時をかける少女

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●シドニアの騎士

●シュタインズ・ゲート

●攻殻機動隊

●エヴァンゲリオン
●千と千尋の神隠し
●風の谷のナウシカ
●天空の城ラピュタ
●魔女の宅急便

追記

■見ようと思っていて、まだ見ていないんだけど、「これ、オトナが見たら、面白いだろう」と思っているアニメ

●心が叫びたがってるんだ

多くの若い人より圧倒的に成長速度の速いおっさんと絶望的に遅いおっさんの違い

 新しい技術が出てきたとき、大多数の若い人よりも圧倒的にスピーディーに使いこなすおっさんは珍しくない。
新技術を習得する能力は、年齢よりも、「スキルを獲得するために必要なスキル」、すなわち「メタスキル」に大きく依存するからだ。

たとえば、ある開発ツールを導入すべきかどうか若い人に相談されたので、「まず、ドキュメントを読もう」と言ったら、「ドキュメントを読んでもよくわからなくて。。」と言う。ググったらすぐに公式サイトの至れり尽くせりのドキュメントが出てきたので、「これ読めばいいじゃん」と言ったら、こんなに大量の英語のドキュメントを読むのは無理だと言う。
あるいは、AIを導入するという話になったとき、「AIがよく分からないので教えて欲しい」と言ってきた若い人に、良質の入門書を勧めたら、数式が分からないので読めないのだという。数式の読み方を教えてみたら、数式以前に、そこで使われている数学概念自体を理解していないことが判明。
新しい設計手法の導入検討のミーティングで、頓珍漢なことを言う若い人に主張の根拠を尋ねたら、そもそもコンピュータサイエンスやソフトウェアエンジニアリングの基礎ができていないことが判明。
えらく業務フローが非効率なので、「業務設計をやりなおして、こことここの部分はコンピュータにやらせて、人間はこういう作業をやるようにすれば?」と言ったら、そもそもコンピュータに何ができて何ができないのかがわかってないから、コンピュータを前提とした業務フロー設計ができないことが判明。

同様のケースは、企画、デザイン、マーケティング、データ分析、マネージメント、ビジネス、経営、いたるところで見られる。

新しい技術、新しい分析手法、新しいビジネス手法、新しい開発手法、新しい経営手法のほとんどは、まるっきりゼロから生まれるなんてことはなく、たいていは巨人の肩の上に生まれる。そして、すでに何十年も掛けて巨人の肩の上によじ登り終わったおっさんは、ほんのちょっと手をのばすだけで、すぐに新技術の果実を掴み取れる。これに対してまだ巨人の肩の上に乗っていない若い人は、そもそも巨人の肩の上によじ登るところから始めなければならない。彼らにとって、新技術は、気の遠くなるような彼方にある。

それに、そもそも「技術はすぐに陳腐化するから、おっさんの知識は古くて使えない」というのは、半分本当だが、半分はウソだ。陳腐化してゴミになる知識もたくさんあるが、陳腐化せずに蓄積していく知識も膨大にあるのだ。「いまからシステム開発を始める若い人は、RDB、オブジェクト指向、デザインパターン、正規表現、並列プログラミングなどという時代遅れの知識を学ぶ必要はない」とはならない。

それどころか、むしろ、既存技術を深く理解して使いこなしている人の方が、新技術をきちんと理解し、うまく使いこなすことは珍しくない。NoSQLが流行りだしたとき、それがはっきり現れた。RDBを十二分に使いこなし、そのメリット・デメリット・限界を知り尽くしている人間の方が、NoSQLの意味を素早くかつ的確に理解したし、効果的に使いこなせていた。RDBの理解が浅い人間の方が、そもそもなぜ、どんなところにNoSQLを導入すべきかを見誤ることが多かった。
ディープラーニングだって同じだろう。既存の技術を十分に使いこなし、その問題点と限界をよく理解している人の方が、なぜ、どんなところにディープラーニングを導入すべきかを的確に理解できるだろう。新技術の本質的意味は、既存技術の限界を超えるところにあるのだから、既存技術の限界ラインが明瞭に見えていない人間には、新技術の意味をきちんと理解するのは難しい。

ただしこれは、何十年にも渡って基礎からしっかり積み重ね続けてきたおっさん限定の話だ。電車の中でゲームをやってるおっさんと、仕事の本を読んでいるおっさんがいるが、彼らが積み重ねてきたものの差異は、目がくらむほどだ。週5日、毎日1.5時間ずつ勉強時間を積み重ねてきた人と、遊び続けてきた人の差は、数十年の時を経ると、超えることが不可能なほどの絶望的な落差になってしまう。単位時間あたりのスキル獲得量の高い仕事を何十年もやり続けてきたおっさんと、たいして身にならないような仕事ばかり数十年やってきたおっさんの差は、それよりもさらにずっと大きくなる。

これが若い人なら、才能とやる気さえあれば、これから時間をかけて巨人の肩の上によじ登ることができるが、積み重ねてこなかったおっさんは、いまからでは、もはや巨人の肩の上によじ登るだけの気力も体力もない。

結局、「若い時代の気力と体力」という、一生に一度きりしか与えられないエネルギー源を推進力にして第二宇宙速度(地球脱出速度)に到達できたかどうかが、分水嶺になる。第一宇宙速度にすら到達できなかったおっさんは、あとは落下していくしかない。しかし、地球の引力を振り切るまで加速したおっさんは、むしろ多くの若者よりも楽に飛びまわれる。

ただし、大学院卒業時点で、すでに極めてレベルの高い英語・数学・コンピュータサイエンスなどの基礎能力を持った若者というのはときどきいる。十分な経験を積んだおっさんが、わずか数年で、そういう若者にあっさり凌駕されるというのもまたよく見る光景だ。

そういうウルトラハイスペックな若者と真正面から殴り合うのは、おっさんとしてはあまり賢い戦略ではない。「いくら基礎能力が高くても、経験を積まない限り、どうにもならない」という分野やポジションはたくさんあって、そういう立ち位置で、彼らと役割分担し、上手に住み分けるのが賢い生存戦略だろう。とくに「高い基礎能力」と「豊富な経験」の両方を併せ持ってはじめて可能になる仕事というのは、「ハイスペックな若者」にも「経験だけしかないおっさん」にもできないため、供給に比べて需要のほうがはるかに大きい。その立ち位置にたてれば、それこそ還暦を過ぎても、かなり自由に飛び回り続けられるのではないかと思う。

そして、このシナリオが崩壊するのは、健康を害した場合だ。だから、仕事よりも健康を優先する戦略は必須だ。健康を害してまで仕事を頑張っても、待ち受けているのは重く暗い下り坂の未来だけだ。
むしろ最後に笑うのは、健康を守るために仕事を捨てなければならないときに、あっさり捨てる決断ができた者たちなのだ。

 

 

 

 

関係ないけど、さきほど驚異的で芸術的な、いぶふぶのラプラスを捕まえて、今、喜びの踊りを踊っている。これで、あちこちでのさばってるカイリューどもを倒しまくれるぜ。こんなことに時間を使っているおっさんの未来は、やっぱ、やばいんだろうか?

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なぜ、ヨッピーさんの記事はタイトルにPRを入れなくても受け入れられてきたのか?

PR無表記の広告記事が邪悪なのは、「広告を記事だと誤認させて、読者の時間とギガを奪う」からです。
しかし、「コンテンツ性の高い広告記事」の場合、普通に「記事コンテンツです」って言っても問題ないくらいにコンテンツ性があるんなら、「記事コンテンツのように見える」ことが、「誤認させていることになる」と言い切れるでしょうか?「記事だと思ってクリックしたら、(広告にもなってるけど)普通に記事として楽しめた」であるなら、それって「誤認」なんでしょうか?

もちろん、その記事広告が「表示位置」を金で買っている場合、だれのどんな記事広告であろうと、必ず「PR」を入れないと、「その記事が、その面白さによってその位置に表示された」と読者に誤認させることになります。

しかし、「ヨッピーさんの広告記事がはてなのホッテントリに上がってくる」というような場合、ここがだんだんグレーになってくる気がするのです。
なぜなら、ヨッピーさんは、はてなに広告料を支払ってその表示位置を買ったわけではないからです。少なくとも、その点については、「誤認」などはさせていません。

ただ、広告であるにも関わらず、記事中で広告である旨が一切わからないように記事にするとしたら、別の意味で「誤認」させているでしょう。広告なのにもかかわらず広告ではないと誤認させているわけです。
しかし、ヨッピーさんの記事の場合、記事を読めば、すぐに広告であるということがわかるようになっています。

私が気になっているのは、ヨッピーさんの広告記事のタイトルにまで「PR」を入れるのは、逆の意味で「誤認」を引き起こしていないかな、という点です。
むしろ広告でない一般記事以上に、コンテンツ性の高い記事なのにもかかわらず、ヨッピーさんをよく知らない多くの人々が、「コンテンツじゃなくて、ただの広告でしょ」と誤認してしまったりしないでしょうか。もしそうだとすれば、本当にそれはフェアだと言えるんだろうか?という疑問がわきます。

ある特定の企業からお金をもらってその企業を取材させてもらってコンテンツ性の高いテレビ番組を作成したら、そのテレビ番組は「広告です」と画面の下に表示し続けなければならないのでしょうか。

「コンテンツ性が3で広告性97」という記事と、「コンテンツ性が80で広告性が20」という記事は、どっちもタイトルに「PR」とつけるのが、フェアなんでしょうか?

もちろん、「ヨッピーさんの記事は面白いから、タイトルにPRを入れなくても許される」などという雑な主張をするつもりは毛頭ありませんが、すべての広告記事を十把一からげにして「全ての広告記事は、記事タイトルにPRが入っていなければ誤認を引き起こす」という主張って、雑だなーと感じてしまうのです。

そして、誤認を引き起こすかどうかは、純粋に「タイトルにPRが入っているかどうか?」という「形式のみ」によって判定するのが正しいのか?ということが論点としてあるかと思います。
たとえば「きみ、美人だね!」と言うのがセクハラかどうかは、純粋にその文言だけでは決まりません。真道幸路朗のような爽やかなイケメンの先輩が言ったらセクハラにならなくても、キモいおっさん上司が言ったらセクハラになったりします。誤認を引き起こすかどうかの判定にも、このような文脈依存性はないのでしょうか?PR表記問題は、純粋に形式のみによって倫理的な判定が可能なのでしょうか?

なぜ、ヨッピーさんの記事はタイトルにPRを入れなくても今まで受け入れられてきたのか?というと、人々の倫理的判断が、「記事タイトルにPR表記があるかどうか?」という「純粋な形式」だけでは決まらないからではないでしょうか?

もちろん、法律で「広告記事では、タイトルにPR表記がなければならない」と決まっているなら、それは「形式のみ」で決まってくる可能性はあると思います。しかし、法的な是非ではなく、倫理的な是非を問うのであれば、「形式のみで正邪の判定はできる」という主張は、どうも粗雑な感じがするのです。

もうちょっと何か、しっくりくる落とし所はないものなのでしょうか。

2倍成人式(40歳):年相応の大人になれたかどうかのチェックリスト

10歳の子どもたちの「2分の1成人式」の話に触発され、
『じゃあ、40歳の大人がちゃんと成熟した大人になれたかどうかの
「2倍成人式」があってもいいのではないか』と思い、
自戒を込めて「40歳ならこのぐらいはできてもいいんじゃないか」というチェックリストを作ってみました。


●人の育成
・子供であれ、友人であれ、後輩であれ、部下であれ、同僚であれ、あなたは今までどれだけの人が健やかに育てるように支援してきましたか?


●動機づけ
・あなたは、子供であれ、友人であれ、後輩であれ、部下であれ、同僚であれ、それぞれのやり方で動機づけ、気持ちよく物事に取り組めるようにしてきましたか?


●人の発掘
・あなたは、今までにどれだけの人の可能性を見つけ出し、引き出し、それぞれの適性に応じたミッションと待遇が得られるようにサポートしてきましたか?


●傾聴
・あなたは、子供であれ、友人であれ、後輩であれ、部下であれ、同僚であれ、一人ひとりの言うことに丁寧に耳を傾け、その気持と意図をしっかり汲み取って行動できていますか?


●落とし所
・あなたは、議論のための議論ではなく、ちゃんとみなを幸せにする落とし所に、効率よくたどり着けるように、人々をサポートできていますか?


●紹介
・あなたは、それを必要としている人に、適切な人を適切に紹介することができていますか?


●委任
・あなたは、適切な仕事や役割を、適切な人に委任することができていますか?


●落とし穴回避
・あなたは、あなたの子供・友人・知人・後輩・同僚・部下たちが、落とし穴に落ちないように、先回りして落とし穴を洗い出し、誰もそこに落ちることがないように、十分な対策を施していますか?


●ビジョン
・あなたは、人々が納得感を持って働けるような思想・価値観・ビジョンを作り上げ、人々に示すことができていますか?


●多様性
・あなたは多様な価値観、性別、年齢、文化、言語、国籍、宗教、職種の人と、互いに理解しあい、協力してものごとをすすめることができていますか?


●スペシャリティ
・あなたは、「これに関しては、私に任せてくれ」と自信を持って言える得意分野・専門分野を確立していますか?


●居場所
・あなたは、家庭であれ、地域であれ、職場であれ、自分の属するコミュニティや組織で、それぞれしっかりした自分の居場所を見つけられていますか?


●ロールモデル
・あなたは人々に、「こういう生き方もありなんだ」と思えるようなロールモデルを提示できていますか?


●自己受容
・あなたは、自分の過去と、現在と、 予想される未来の可能性を、受け入れることができていますか?

 

 

【追記】


 


●感謝
・無事に40歳になれたことを、あなたを育ててくれた親、先輩、同僚、後輩、配偶者、子どもたちに感謝していますか?


●感情
・自分及び他者の、怒り、嫌悪、憎しみ、嫉妬、落胆、不安などの感情に脊髄反射的に反応するのではなく、かといって感情を無視するのでもなく、先々のことまで考え抜いて、賢明で包容力のある行動ができていますか?

 

 

■その他

特に仕事に限った話ではないので、仕事以外のことも明示的にカバーするように表現を修正。それと、おこがましい表現を改めた。

運動瞑想野菜が必要な21世紀人は、自分が底辺ってことさえ知らない

「運動しないと健康を損ねる」だって?

そんなわけあるかよ。運動なんか全くしなくても、何百年も健康に過ごしている人はいくらでもいるだろ。

もし運動しないと不健康になる人がいたら、それは単なる生体メカニズムのバグだから、さっさと修理しろよ。
。。と思って調べたら、21世紀って、まだそれ直すテクノロジーがなかった時代なのな。
ということはなにかい、運動したくないときでも、無理やり運動しなけりゃならないってこと?
うへえ。どんな地獄だよ。
そんな時代に生まれなくてよかったって、心から思うわ。
考えたこともなかったけど、俺って実は幸せだったんだな。

 

運動しないと老化が早まる?

「老化」ってなんだろうと思ったら、細胞内分子構造のエラーの蓄積だの、内分泌システムの機能劣化だのなんだの。
そんなもん単なる生体分子補修システムのバグだから、さっさと修理しろよ。
と思ったら、21世紀は、まだ生体分子構造のエラーを自動修復するシステムが人体に組み込まれる前の時代だったのな。
ということは、なにかい、日々、自分の細胞内分子構造にエラーが蓄積されていくことに怯えながら、増えていく体の不調に苦しんで生きていくわけ?
それ、とんでもなく残酷な拷問だろ。
その拷問に責め苛まれながら、たかだか100年もしないうちに「老化」に殺される人生って、とんでもないホラーだな。
恐ろしい。恐ろしい。
こんな底辺の時代に生まれなくて、ほんと、よかったわ。


瞑想しないと大脳が壊れたメンヘラになる?
これもイミフなんで調べてみたら、なんと、21世紀は、脳のデフォルトモードネットワークのバグが修復される以前の時代で、自分の意志で、脳を自在に休ませることができず、放置すると、脳の一部が萎縮してしまってたらしい。
だから、わざわざ自分で自分の脳がコントロールできるように、日々、瞑想という名の脳制御訓練をする必要があったんだって。
しっかし、自分で自分の脳がコントロール出来ないって、どんなホラーだよ。
そんな地獄のような時代に生まれなくて、ほんとよかったわ。


野菜を食べなきゃならない理由も、やっぱり、生体メカニズムの設計の問題だった。野菜を食べないと体調悪化するって、しかもその設計ミスを永遠に修正できないって、なんという。。


そんなどうしょうもないド底辺を這いずり回って生きていた21世紀人が、
田舎高卒は自分が底辺ってことさえ知らない」などと、同じ時代のさらに底辺の人間と自分との格差を気にしていたって言うんだから、なんとも微妙な気持ちになるな。

 

 

ポケモンgoの楽しさと奥深さを、やってない人にも理解できるように解説する

ポケモンgoは、ポケモンを集めて、育てて、バトルするゲームだ。
バトルそのものも楽しいが、バトルで勝てるようなポケモンを捕獲・育成するのが最高に面白い。
ポケモンの捕獲と育成は、運もあるが、単なる運ゲーじゃない。手間ひまかけないといいポケモンはゲットできないが、時間さえかければ強いポケモンをゲットできるわけでもない。深く考えずに適当にやっていると、膨大な時間を費やして集めたポケモンが、どうしょうもないゴミポケモンに育ってしまう。

 

ルールと状況がどんどん変化していくので、みな、今後のルールと状況の変化を予測しながらプレーしている。

たとえば、ある女の子は、スマホを2台持ってポケモンをしている。これは、今後、ポケモンのトレードが開始されることを読んでいるからだ。
いいポケモンは、出現頻度が少ない。そして、ある場所に出現すると、数分~十数分間だけ存在し、消えてしまう。そのポケモンは、誰か一人が捕獲しても、他の人のスマホから消えてしまうということはない。全員のスマホに出現する。だから、いいポケモンが出現したら、二刀流で捕獲すれば、2倍捕獲できることになる。
二刀流にする理由はそれだけではない。ある場所に出現したポケモンは、そこに存在する全てのスマホに出現するが、それらは完全に同一の才能を持ったポケモンではない。同じ種族のポケモンではあるが、CP(戦闘力)、個体値、技が違う。スマホを2台持つことで、どちらか片方が、これらのパラメータの高いポケモンになる確率がぐっと高くなる。
CPは後から増強することが可能だが、個体値は生まれ持っての才能のようなもので、後から何をやっても、改良することができない。
さらに、ポケモンは進化させることで飛躍的に強くなるが、進化した後、どんな技を持つ個体になるかは、予測ができない。最高の種族に属し、最高のCP(戦闘力)と最高の個体値を持った個体を進化させてみたら、どうしょうもないゴミ技しか持たないポケモンになってしまうこともある。ゴミになってしまったら、もう二度と治らない。もう一度捕獲からやり直しだ。
しかも、進化には、ポケモンのアメが大量に必要だ。ポケモンのアメは進化系統ごとに異なり、互換性がない。ミニリュウのアメは、ミニリュウの進化系統にしか使えない。1匹のミニリュウを捕獲すると3個のアメがゲットできるが、ミニリュウをハクリュウに進化させるには25個のアメが必要で、ハクリュウをカイリュウに進化させるには100個のアメが必要だ。ミニリュウは1つのアメと交換できるので、ミニリュウ1匹捕まえると、4個のアメをゲットできることになる。だから、ミニリュウを集めて進化させてカイリュウにするには、32匹のミニリュウを捕獲しなければならない。しかも、そこから更に、たくさんのアメを使って、カイリュウを強化していかなければならない。いいポケモンを育てるには、めったに出会わないポケモンをそれだけ大量に捕獲しなければならないのだ。
だから、いい種族のポケモンに出会うという幸運に恵まれたら、ここぞとばかり、可能な限り多くのスマホで、そのポケモンを捕獲しまくるというのは、バカバカしいようで、意外と合理的な戦術の可能性がある。


運営側によって、技の強さなどのパラメータが変動するリスクをマネージメントすることも、ポケモン育成の駆け引きを高度なものにしている。
たとえば、以下のような会話がある:
「この技が強力だから、この技を持ったポケモンを育てよう」→「今までの運営側の対応の経緯から見て、この技は強すぎるので、今後は運営によって下方修正されるリスクがけっこうある。それよりも、この場合は個体値優先で育てた方がいいんじゃないの?」
「このポケモン、個体値は最高なんだけど、弱い種族に属しているから、持ってても意味ないよね」→「いやいや、将来的に、運用側によって種族の強さが変更される可能性もあるから、個体値が高ければ、念のためキープしておいた方がいいよ」
「個体値って、どこを見れば分かるの?」→「ゲーム内を見てもわからない。チェックするツールをネットで探してチェックする」→「このツール、面倒くさい」→「個体値を簡単にチェックするツールを見つけたよ」→「それ、便利だけど、公式に認められているツールじゃないし、使っていることが運営にバレる仕様になってるし、それを使っていると、アカウントをバンされるリスクがあるよ」→「それでバンされた人はいないよ」→「今のところはね。今後はどうかわからない」→「利便性と、そのリスクの大きさを天秤にかけて、どちらをとるかだな」


ポケモンの巣の流動性もゲームを高度化させている要因の一つだ。
初期は、いいポケモンが高密度かつ高頻度で出現するポケモンの巣があったが、現在のポケモンの巣は大幅に劣化し、いいポケモンの出現頻度も密度も、大幅に低下した。
今後は、さらにポケモンの巣が劣化していく可能性がある。
ということは、初期にいいポケモンの巣で、いいポケモンをゲットしまくった人たちは圧倒的に有利で、ポケモンの巣が劣化してから行動し始めたプレーヤーとの格差は、なかなか縮まらないことになる。
なので、ポケモンの巣の劣化リスクをいち早く予測して、迅速に行動できた先見の明のあるプレーヤーが、現在、圧倒的にすぐれたポケモンを保有している状態になっている。
さらに、ポケモンの巣の劣化を予測して、そのままポケモンの巣に突撃したプレーヤーが、虫刺されと日焼けと電池切れで、ほうほうの体で退却してきたという話がある一方で、これらを予測して、はじめから日焼け止めと虫除けスプレーと大容量電池を装備して準備万端でポケモンの巣へ侵攻したプレーヤーは、大量に捕獲された超豪華ポケモンのスクショをLINEグループに流していた。
物理的な装備品の先読みもまた要求されるゲームなのだ。


さらに、最高のポケモンを1つ手に入れれば、それでゴールという単純なゲームではない。
ポケモンはジャンケンポンの関係にあり、あるポケモンに対して強くても、別のポケモンに対しては弱いという関係が、複雑に絡み合っている。
しかも、そのジャンケン関係は、ポケモンの種族だけでは決まらない。技の種類にもよる。1つのポケモンは、2つの技を持つから、非常に複雑なジャンケンネットワークが形成されている。
さらに、バトルは一人のプレーヤーが最大6匹のポケモンを出して行う。1匹だけ強くても勝てない。
バトルはジムと呼ばれる場所で行う。ジムにはポケモンが1~10匹配置されている。このジムに対して、ユーザは一人で6匹のポケモンをぶつける。ただし、ジム攻略には、ある程度の後出しジャンケンが可能だ。ジムに配置されているポケモンに対して有利になる順番にポケモンを並べてぶつけることができる。
だから、強いポケモンを6匹手に入れられればそれで終わりということにはならない。その6匹が、たまたまジムに配置されているポケモンに対して不利なポケモンばかりだったら、勝てないからだ。ジムにどんなポケモンが配置されていようとも対応できるように、さまざまなバリエーションの強いポケモンを揃えていく必要がある。
しかも、種族と技の世間相場が、その普及状況によって変動する。種族Aのポケモンが大量に出回れば、そのポケモンに対して有利な種族Bのポケモンの価値が上がる。また、種族Aに対して有効な技Xの価値も高まる。これによって種族Bと技Xが増えてきたら、今度は、種族Bと技Xに対して有利な種族と技を持つポケモンの価値が高まるのだ。


話はまだまだ沢山あるが、書くのに飽きてきたのでこの辺で終わりにしておく。
もちろん、ポケモンgoにはいろんな楽しみ方があるから、これだけがポケモンgoの遊び方ではないし、他人様の遊び方にとやかく言うつもりはない。

私自身も、ゲームとしてのポケモンgoというより、ポケモンgoという社会現象の渦の中で、時代の空気に浸って楽しむことを主な目的としてプレーしている。
ポケモンgoというのは単なるゲームではなく、時々刻々と変転していく一期一会の社会現象であって、後から参加しても、「始まったばかりのころのポケモンgo」はもう永遠にプレーすることはできない。
たとえば、ミニリュウが出現すると、周囲の人間が一斉に走りだすのは、なんだかバカバカしくて、すごい笑える。真夏の炎天下の中、これだけ大勢の見知らぬ人間たちが集まって、目に見えぬモンスターを捕獲するためにダッシュするという光景って、ええじゃないか運動や安保闘争のような、人類史的な出来事なんじゃないだろうか。ルールや状況が変化すると、こういう光景はもうなくなってしまう可能性がある。いつか歴史の生き証人として、未来の子どもたちに語って聞かせたいような珍事件だ。

この、二度と再び味わうことができないかもしれない社会現象の面白さを、少しでも多くの人に感じてもらえたら、と思って書いてみました。